【水はどこから】

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徳川家康が江戸に幕府を開き、天下の城下町として江戸の町づくりが、諸大名たちの手によって始まりました。この頃の生活水は、小石川上水や溜池上水から給水されていました。そして、江戸城周辺には豪華な大名屋敷が建ち、日本橋や新橋方面の下町には商店や長屋が建ち並び、次第に江戸が大変な賑わいを見せるようになりました。足りなくなった生活水は、井の頭池を源とする神田川を懸樋で渡す神田上水が作られ、人々の暮らしを支えるようになりました。しかし、江戸の発展は著しく人口が増加する一方でした。そこで、幕府は多摩川の水を江戸に引き入れる壮大な計画を立て、玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)によって羽村取水口から四谷大木戸まで43kmもの上水が作られました。江戸市中の地下に石樋や木樋による配水管を設置し、江戸に住む人々に生活水を与えました。江戸時代の時代劇で、長屋の人々が井戸から水をくみ上げているのは、実は上水からの水が地下に蓄えられているものをくみ上げているのです。人口100万人となった江戸の町、江戸時代265年間を守ったのはこれらの上水であったかも知れません。
 さてその後、江戸は明治維新で東京となり日本の首都として機能を果たしていきます。銀座にはガス灯が現れ、鉄道、電信、レンガ作りの家と東京の風景は急激に変化していきます。生活水は、上水の管理ができず木樋も老朽し水質が悪化していました。そこで、明治政府は上水を止めて、新たに鉄管による東京近代水道を進めていきました。淀橋に浄水工場、本郷と芝に給水工場を建て、生活水を供給するようにしたのです。本テーマである「水はどこから」は、学習指導要領の第4学年の内容(2)「人々の生活や生活環境を支える事業について」に関する内容です。水道局や水道事業に携わる人々を取り上げて学習を進めることが多いです。しかし、先に述べた東京の水の歴史について知ることは、この学習を進める上でも大変役に立つものと思われます。私が述べた水の歴史は「東京都水道歴史館」で学びました。区社会科部で研修に行き、実際に4年生の児童も連れて見学しました。江戸時代の石樋・木樋や江戸市中へ供給した図面を見て、壮大な事業を当時の人々が計画的に緻密に行ったことに感動しました。歴史とは、ついつい大きな出来事にとらわれてしまいますが、この見学から人々の生活に必要なきれいな水を求めた幕府や政府の営みを学びました。飲料水を事例として扱う場合は、水道の歴史も少し取り入れてみませんか。


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