【四谷大木戸・水番所の碑】 玉川兄弟の足跡を巡る3

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【水道碑記】  【新宿歴史博物館のジオラマ】 【四谷大木戸跡碑】
玉川兄弟らによって、羽村取水堰から43キロメートルに渡って掘り進められた玉川上水は、ここ四谷大木戸から江戸市中に入ります。「大木戸」という名前から分かるように、ここには甲州街道から江戸への出入り口として、簡易な関所が設置されていました。江戸初期には夜間は木戸を閉じていたのですが、江戸の発展や往来の増加に伴い、18世紀には木戸は取り外されます。元禄時代に、四谷大木戸の外側に内藤新宿(現在の新宿)が開かれていることからも、江戸の発展ぶりが想像できます。なお、東海道側の大木戸は高輪にあり、新駅の名称「高輪ゲートウェイ」の由来ともなっています。 
四谷大木戸近くに、玉川上水の四谷水番所が設けられました。水質を保つための番所です。ここからは木樋や石樋を用いて、江戸市中へと配水されます。跡地近くの新宿区立四谷区民センターに石碑(四谷大木戸跡碑・水道碑記)があります。四谷大木戸跡の石碑は、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を用いて作られたそうです。
新宿歴史博物館も近くにあり、一緒に訪れてみるとよいでしょう。常設展示に内藤新宿のジオラマがあり、四谷大木戸や水番所の様子を、その一部に見ることができます。

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