【立川・小平周辺】玉川兄弟の足跡を巡る2

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天王橋から(立川市)   小平監視所(立川市)  清流復活放流口(小平市)
  明治3(1870)年、玉川上水にはじめて船が通いました(通船)。江戸時代には、上水が汚されることを防ぐため、幕府は船の行き来を許しませんでしたが、明治になって政府が変わるとすぐに通船が許され、多くの人が船や船頭を用意して輸送事業に参加しました。多摩地域はもちろん周りの県からもいろいろな品物が輸送され、たいへん盛んになりましたが、2年後の明治5(1872)年、上水の汚染を理由として急に禁止されてしまいました。
江戸の飲料水、そして武蔵野の新田開発に利用された玉川上水は、その後、近代的な水道へと生まれ変わり、東京の発展とともに設備を拡充していきました。昭和40(1965)年に東村山浄水場が設置されると、玉川上水の導水路としての役割も野火止用水との分岐点である小平監視所で終了しました。小平監視所の沈砂池に導かれた原水は、管路で東村山浄水場へ送られ、小平監視所から先の上水路は使われなくなりました。空堀の玉川上水は、公園や道路に変わっていきました。
そうした中、その歴史的意味や貴重な緑地としての価値を認めて、玉川上水を保存しようという運動が広がりをみせました。そして昭和61(1986)年、小平監視所から先へ、下水処理場で浄化した水が流れ、玉川上水は都市の中の憩いの場として復活したのです。
現在では、取水堰から福生市の宮本橋までは都立自然公園として、そこから下流の開渠(かいきょ)部分は、都の歴史環境保全地域に指定され、周辺の開発計画と調整を図りながら、積極的な保護と活用が図られています。

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