【羽村取水堰・羽村市郷土博物館】玉川兄弟の足跡を巡る1

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羽村取水堰(羽村市)  玉川兄弟の像(羽村市)  羽村市郷土博物館(羽村市)
 4年生では郷土の発展に尽くした人々を学習します。副読本『わたしたちの東京都』では江戸のまちの水不足解消のために玉川上水の開削に尽くした玉川兄弟を取り上げ、その工夫や努力について学習します。
 玉川上水は、人口増加で飲み水が不足していた江戸の町に、飲料水を供給するために作られた上水道です。多摩川の羽村から四谷までの全長43kmが1653年に築かれました。
 羽村取水堰(せき)は、多摩川の河口から上流約54kmに位置し、川をせき止める投渡堰(なげわたしぜき)、固定堰、魚類が行き来する魚道及びせき止めた水を取り入れる第一水門から構成されています。羽村取水堰は玉川上水と同時に建設され、承応2(1653)年に完成しました。当初は国立の青柳付近、次いで福生の熊川付近に取水口を設けましたが失敗し、現在の羽村地点となりました。
 取水堰に隣接する公園内には、幕府の命を受け玉川上水の工事を請け負った玉川兄弟の銅像があります。当時の測量器具である間縄(けんなわ)を持って立っているのが兄の庄右衛門(しょうえもん)、片膝をついて間竿(けんざお)を持っているのが弟の清右衛門(せいえもん)です。兄弟は玉川上水開削の功績を認められ、幕府から玉川姓を与えられ、玉川兄弟と言われるようになりました。
 また、多摩川を挟んで取水堰の対岸には、羽村市郷土博物館があります。館内には「玉川上水を守る」という常設コーナーがあり、江戸時代の水門・羽村堰再現模型・木桶と井戸・御用留(ごようどめ)などが展示され、玉川上水について詳しく学べる施設になっています。社会科見学で訪問すると、地元ボランティアの方が子供たちに分かりやすく説明をしながら、館内を案内してくれます。

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