十日町市立中条中学校 校歌


 昭和25年5月、当時県知事であった岡田正平氏(※1)の格別のご配慮により、堀口大學氏(※2)作詞による校歌がつくられた。当時、堀口氏は高田市に疎開中で、中条中学校に来校し、信濃川や城山を実際に眼にとらえて作詞してくださった。作曲は新大高田分校の大給正夫氏が校歌としては珍しく後半を合唱曲に書き上げられたものである。昭和25年11月23日に校歌が制定された。
校歌

 <脚注>

※1 岡田正平氏

 明治11年10月19日生まれ。中条の岡田龍松氏(初代中魚沼郡長)の次男。昭和22年(1947年)に第1回新潟県知事選挙で当選。初代民選知事となった。中条中学校体育館に掲げられている「高志丘」の額は岡田正平氏の直筆である。
高志丘の額

※2 堀口大學氏

 明治25年1月8日に東京市本郷で生まれた。生家が東京大学の赤門の前であり、父親が東京大学の法学部に在学中だったことから「大學」と命名された。郷里は新潟県長岡市で、母の死後、長岡市で祖母に育てられた。県立長岡中学校を卒業後、慶應義塾大学文学部に進学した。外交官である父親の後を継ごうとしたが病弱のため断念し、詩作と翻訳の道に進んだ。メキシコ、ベルギー、スペイン、ブラジル、ルーマニアと青春時代の大部分を海外で過ごした。フランス文学に親しみ、刊行された著書・訳書は300点を超える。堀口氏は校歌をつくるために「城山」に登ったり、教室まで入り窓から信濃川を眺めたりした。城山に登った時の写真が会議室に飾られている。
堀口大學氏