弁護士による「いじめ防止授業」 2
約40年目の事件です。
中学校2年生の男子(鹿川君)は、最初はいじめる側グループだったが、いじめられていた子が転校したことをきっかけに、鹿川くんがいじめられる対象になった。最初はやられてもニヤニヤしていた。いじめている側は鹿川君が嫌がっているとは思わなかった。 どんどんいじめはエスカレートしていった。 ある日、用事があって遅刻して登校したら、自分の机にみかんと花が生けてある牛乳瓶が置いてあった。黒板はお葬式のときに使う黒白の膜のようにチョークで書いてあった。 そして、亡くなったと言う前提で、追悼の寄せ書きの色紙があった。それもクラス全員が書いてあった。(実は教師も3人書いていた)昭和60年11月 昭和61年1月 遺書を残して、鹿川君がいなくなった。 彼は、東北本線に乗って、盛岡駅まで行き、駅のトイレの荷物をかけるフックに紐をかけて、座るように自分から体重をかけて亡くなりました。 遺書には「死にたくない。生きじごくだ。俺の代わりにいじめたら意味がない。最後のお願いだ」4つの強いメッセージがありました。 最後にドラえもんの4人の立場について、どのように対応すればよいのか、具体的に説明してくれました。 安心して楽しく生活できる学校をつくるのはみなさんです。 (今回は色紙も遺書も映像で見ましたが、私は昔、実物を見せていただきました。手にとった時は震えました。どんな気持ちでこの色紙を見たのか。どんな気持ちでこの遺書を書いたのか) |
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