離任式今年度のホームページは本日で終了となります。今後とも飛渡第一小学校をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。 シリーズ学校の150年 9 「鉄筋校舎建築」新校舎を鉄筋にするか木造にするか地元の熱意を示す方法を含めて部落毎総会鉄筋校舎建築を要望して市に対する陳情行動が続けられる 昭和41年3月 飛一校増改築費2819萬2千円を含む41年度予算市会で可決 昭和41年5月17日 地鎮祭後直ちに着工 昭和41年12月 鉄筋3階校舎新築、創立90周年 記念祝賀会挙行 ※写真は創立100周年記念誌から 「地元の熱意を示す方法を含めて部落毎総会」、現校舎はこのような経緯を経て完成したのですね。学校に対する地域の熱い思いは今も脈々と受け継がれています。 シリーズ学校の150年 8 「人々の思い」100周年記念誌にはそれらの活動に関わった方々の思い、エピソードも掲載されていますので紹介します。 S22〜S32に奉職された第15代村山省吾校長は、「校舎建築にグランド拡張、庭園整備等何年たっても仕事はつきない。中学生は殆ど毎日のように、作業に従事した。時には五、六年生の小学児童まで参加した。中でも崖下の飛渡川からの玉石はこびは、さすがの山の子達にも相当こたえたことであろう。ただ、黙々と先生の指示通り働いた。今にして思えば、けなげといおうかふびんといおうか胸の詰まる思いである」と回顧されています。小山秋作先生(S23〜S34)も同様の記述をされていました。 また、当時の生徒として、三ツ山の大津昭さんは「あの頃は生徒数も多く、私達中学生が遊ぶと小学生は隅の方で小さくなって遊んでいる状態でした。そんな時、今の体育館の工事が始まりました。私たちは毎日「たがら」と言う小さいかごを背負って学校へ行き、下の川から玉石を背負い上げました。体格の良い男生徒は材木運びを手伝い、一日も早く完成させようと、皆が必死でした。…」 川から校地への高低差。人力で重い石を運び上げる作業が相当な苦労であったことは、想像に難くありません。こうした人々の思いがあって、私たちが今学ぶことができます。 シリーズ学校の150年 7 「プール」昭和44年 7月 河原にプールを掘る 間もなく増水のためプール埋没 昭和46年 7月 プール完成 昭和46年 8月 PTA・後援会の奉仕により、プール脇の石垣積み(写真左) 昭和48年 7月 プールサイドのコンクリート舗装完了 昭和49年 6月 プール開きお祓い(写真右) プール竣工までは、石垣積み、プールサイドの舗装など、本体の設置から約3年の年月を要した大工事でした。校舎からプールへの高低差が大きい当校です。石垣のための石は一体いくつ必要だったのでしょう。また、中越大震災はじめ数々の地震を乗り越えている強さにも驚かされます。グラウンド同様、関係の業者だけでなく、たくさんの保護者、後援会の方々等の力によってできた学校の宝の一つです。 卒業おめでとうございますこれまで素晴らしいリーダーシップを発揮し学校をリードしてきてくれた卒業生のために、多くのご来賓の皆様からご臨席いただきました。在校生も一生懸命に式に臨み、凛とした空気と温かな雰囲気の中、立派に巣立っていきました。2人のこれからに幸多かれと願っています。 卒業おめでとうございます! シリーズ学校の150年 6 「グラウンド」昭和15年 8月 紀元2600年記念事業としてグラウンド拡張(現在の前庭)青年団・学区民・学童の勤労作業 昭和28年 9月 3か年計画によるグラウンド拡張工事完成 昭和42年 9月 グラウンド石垣積み作業完成 大人から学童まで、多くの方々の勤労作業でできたグラウンド。「みんなでつくる我が校のグラウンド」であったのですね。用地確保から整備まで、学区の方々の熱い思いがあって現在のグラウンドが実現したことが分かります。その場所で、子どもたちが時に楽しく駆け回り、時に厳しく己を鍛えています。 (お分かりでしょうが写真は現在のグラウンドです) 3学期終業式 卒業式準備2時間目は全校で卒業式準備をしました。在校生と職員で一生懸命会場づくりをしました。いよいよ明日は卒業式。卒業生はもちろん、在校生にとっても節目となる日です。一人一人の思いのこもった式になることでしょう。 友だちと学び合うお話に浸る 充実感に浸るいつも「どの本がいいかな?」と考えながら選書をしてくださっていることと思います。そのおかげで子どもたちは豊かな時間をいただいています。読み聞かせボランティア「イマジン」の多くの皆さま、今年も大変ありがとうございました。 シリーズ学校の150年 5 学校の施設(学校林・スキー場)昭和18年 2月 魚野田川、馬場清太郎氏より冬季間のスキー場として用地を貸していただく 昭和33年11月 学校林杉苗400本植える 「学校林」は学校から主要地方道大和・焼野線(新水方面への道路)を隔てた場所に位置し、2年に1度、後援会の皆様が下草刈り等の手入れをしてくださっていたそうです。また、三ツ山分校にも学校林があり、校舎(写真)を建造する際にはその木材を活用したのだそうです。 スキー場は、現在の栄田屋さんの方の山間地を活用させていただいていたそうです。 空飛ぶ室外機さっそく活動が始まりましたサプライズ「お願いね」「がんばります!」ピカピカの校歌シリーズ学校の150年4 学校の変遷その2(大正〜昭和時代)昭和13年 4月 中魚沼郡中条村飛渡尋常高等小学校となる 16年 4月 中魚沼郡中条村飛渡第一国民学校と改称 22年 4月 中魚沼郡中条村立飛渡第一小学校と改称する 23年 4月 中条中学校飛一分校開設併置 23年12月 中学校教室として中条小学校校舎の一部2階建て25坪を移築する 37年11月 三ツ山分校校舎落成式 39年 4月 池谷分校の5・6年生、本校に通学することになる 39年11月 池谷分校屋内体育館竣工 41年12月 鉄筋3階校舎新築、創立90周年記念祝賀式挙行 47年 4月 新座小三ツ山分校が飛一小の分校となる 大正から昭和中期にかけ、現在の学校に至るまでのたくさんのできごとが続きました。 今年の集大成昔語りや劇、手品や科学研究発表、全校ダンス等、今年度高めた表現力の集大成を見ていただきました。「常に前向きかつまじめで見ていて気持ち良いです。来年も変わらない元気な姿をまた見せてくださいね」「良くできましたね。方言も上手で涙が出ました」「語りの間も良くとても聞きやすかったです。とても勉強になりましたよ」「一人一人が力を合わせて素晴らしい作品を仕上げてくれました。大人も頑張らねばと改めて感じました」「小さい学校の大きな力、あっぱれ」…。ここに書ききれないほどの励ましのお言葉をいただきました。見て励まし、価値づけてくださる方々のおかげで、子どもたちはやり遂げた成就感に満たされながら、また一つ自分に自信をもつことができるようになりました。ご来場の皆様、ありがとうございました。 シリーズ学校の歴史 3 開学時の偉大な教師【橋本清九郎】 画号を「柊園(しゅうえん)」と名乗り、毛の1本1本まで丁寧に描き込む虎の絵の大家。35代中田校長先生は、橋本清九郎先生の功績をまとめられ、その資料は現在も校舎3階に展示されています。それによると、竹林の虎の絵は、柊園が虎を、川治の村山長八(画号「竹翁」)が竹を描いた2人の合作によるものであると記されています。(写真左) 【水落又平】 俳号を「暁翠園李東(ぎょうすいえんりとう)」と名乗り、俳句の大家。句誌「寰中百人衆(かんちゅうひゃくにんしゅう)」(百人の俳人の句を集めた句集)を編みました。この本には、行書で書かれた俳句とともに、人物にはうっすらと肌の色を差している絵も描かれ、当時としては大変手間をかけた本であることが分かります。(写真右) 東枯木又の阿部三代継さんのお宅には、このお二人の貴重な作品が保管されています。 このうち「竹林の虎」の絵は、中田校長先生の資料の絵とは構図が異なり、この2名による合作が複数あることが分かります。 偉大な教師が、飛渡第一小学校の礎を築いたのです。 ウサギのルナおいしくできた! |
|