光のせいしつ(3年生 理科)
3年生の理科の学習で「光のせいしつ」について調べました。「虫眼鏡で日光を集めると、どうなるのか?」という実験で、子どもたちが黒い画用紙に、一生懸命に光を集めています。うまく光を集めることができるとあっという間に煙が出て、子どもたちの歓声とともに、焦げたにおいが漂ってきます。子どもたちは、とても集中して実験に取り組んでいました。「百聞は一見に如かず」体験的な学習は子どもたちの心に残ります!
「あきとなかよし」(1年生)
1年生の生活科の学習で秋探しをしました。学校の中庭や西公園には、どんな秋があるのかな?ススキやセンダングサ(ひっつき虫)、もみじなど色々な秋を探すことができました。たくさんの子どもたちが、ひっつき虫にくっつかれ、一生懸命にひっつき虫を取る姿がかわいらしく、ほっこりする瞬間でした。
生活科町探検(2年生)
2年生の生活科の学習の一環で学校周辺の町探検に出かけました。校外での学習は、子どもたちにとって、楽しみでもあり、学ぶことも多くあります。いつも何気なく通っているお店ですが、お店の人に話を聞くと発見がたくさんあります。たくさんのことを学んできてほしいと思います。
書き初め公開授業(3年生)
3年生の書き初め学習会を公開で実施しました。たくさんの保護者の皆さんに参観していただきました。書き初めを書くのは初めてということもあり、1枚目の作品は課題が多くありましたが、2枚目、3枚目と書き進めるうちに、少しずつ上手に書けるようになっていきました。とても真剣に1時間の書き初めの学習に取り組むことができました。
書き初め公開授業(4年生)
本日、4年生の書き初めの学習会を体育館で行いました。たくさんの保護者の皆さんが参観していただく中、子どもたちは、真剣な表情で学習に取り組んでいました。3年生での書き初めの経験がある4年生の子どもたちは流石です!丁寧に文字を書くだけでなく、準備や片付けも素早くできました。
野焼き(6年) 無事に「攻め」の作業を終了野焼きが始まりました!
子どもたちが、サークル状に土器を置き、薪に火をつけて、野焼きが始まりました。普段では、できない体験に子どもたちも大喜びです!完成が楽しみです!
準備万端です(6年生 野焼き)菓子屋横丁にて〜懐かしさの中で出会う新鮮な感動〜 「菓子屋横丁」では、明治の初めから菓子を製造していました。それが、関東大震災で被害を受けた東京に代わって駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていたといわれています。 現在は20数軒の店舗が連なり、横丁気分が満喫できます。横丁が醸しだす雰囲気とあめやせんべいなどの下町風の駄菓子は、ノスタルジーを求めるファンを増やし、多くの人が訪れています。 平成13年度には、横丁が醸し出す雰囲気と下町風の菓子の懐かしいかおりが漂うということで、環境省の実施した「かおり風景100選」に選ばれました。 川越まつり会館〜川越まつり会館〜 約370年の伝統を誇る川越まつりをいつ訪れても体感できる施設です。館内には本物の山車2台を展示してあります。また、大型スクリーン(6メートル×4メートル)によるまつり当日の映像を6分間上映しています。 午後の活動が始まりました!〜川越市指定文化財「時の鐘」〜 時の鐘は、寛永4年(1627)から11年(1634)の間に川越城主酒井忠勝が、多賀町(いまの幸町)の現在の場所に建てたものが最初といわれています。 創建された江戸時代の初期から、暮らしに欠かせない「時」を告げてきた小江戸川越のシンボルです。 現在の鐘楼は、明治26年(1893)に起きた川越大火の翌年に再建されたもの。 3層構造で、高さ約16メートル。 平成8年に、時の鐘は環境庁主催の「残したい“日本の音風景100選”」に選ばれました。 三芳野神社で昼食です!〜童心に帰る参道"とおりゃんせ"の細道〜 三芳野神社は、川越城の鎮守として寛永元年(1624)、後の城主酒井忠勝によって再建されたといわれています。 この天神様は、わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地といわれています。川越城内にあったため、一般の人の参詣はなかなか難しく、その様子が歌われていると伝えられています。 楽しく学ぶ道徳の授業(1年生)子どもたちは、担任の先生が出す挿絵を見ながら、次はどんな展開になるのか、ワクワク・ドキドキで授業に取り組んでいます。子どもたちの表情も活き活きしています! 川越城 本丸御殿子どもたちは、木戸のカギの仕組みに興味津々です。また、真剣な表情で、学芸員さんからの説明に聞き入っていました。 〜江戸の北の守り、川越17万石をしのぶ〜 川越城は、長禄元年(1457年)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。 江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせています。 川越市立博物館での見学です!子どもたちは、グループでの活動を楽しみながら、見学をしています。 〜川越の歴史へ誘う空間〜 蔵造りをイメージした切り妻の瓦屋根に漆喰風の白壁姿の博物館は、旧川越城の二の丸跡に建っています。川越が繁栄した江戸時代から明治時代を中心に、原始時代から近・現代までの長い川越の歴史が総合的に理解できるような展示となっています。特に、城下町全体が見られるジオラマ模型や細部まで復元した蔵造りの町並み模型、また蔵造りの建築工程を再現した実物大模型は迫力満点です。見学した後に、市内を巡れば川越散策がさらに楽しめます。 喜多院にて〜江戸の面影を残す文化財の宝庫〜 寛永15年(1638年)、大火によって喜多院のほとんどを焼失。3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築しました。 それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになり、江戸城唯一の遺構として残されることになりました。 客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があります。 これらは、慈眼堂・山門などとともに重要文化財に指定されています。 川越に到着しました!まずは、喜多院の見学からです! 〜江戸の面影を残す文化財の宝庫〜 喜多院は、五百羅漢やダルマ市(1月3日)で知られています。 天長7年(830年)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられています。 永仁4年(1296年)、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し、北院・中院・南院となる各房が建てられました。 喜多院となったのは慶長17年(1612年)、徳川家康の信任を得る天海僧正が、住職となってからのことです。 川越に向けて出発しました!(6年生)事前の学習もしっかり行い、子どもたちは大変落ち着いた様子で学校を出発しました! 鶴ヶ島市のお隣の川越市ですが、歴史にあふれた町です。目で見て、心で感じて様々なことを学んできてほしいと思います。 いってらっしゃーい! 飛沫拡散防止パネルづくりこのパネルを低学年が作るのは、とても大変です。そこで、5・6年生の子どもたちが、低学年のパネル作りのお手伝いをしてくれました。さすが高学年です!手際よくパネルを作っていき、あっという間に終わってしまいました。 本当に頼りになる5・6年生です!これからも5・6年生の活躍を期待しています! 「ひかりのくにのなかまたち」(1年図工) |
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