校長室より(26)成長曲線

「宇宙の現象のすべては4つの力で説明される。これを1つの物理法則に統合しようというのがホーキングの究極の目標なのだ」(今「ホーキング」がすべて分かる本1991学研)。
 こんな惹句にひかれてホーキング博士の著書(「ホーキング宇宙を語る」等)を読んだ時期がありました。
 それは、よりよい授業について仲間と熱く語っていた時期と重なります。
きっと「むつかしいことをわかりやすく、わかりやすいことをふかく(井上ひさし)」という言葉と私の心の中で響き合うものがあったからかもしれません。

以下は、添付の資料をご覧ください。

校長室より(25)AIの先へ(後編)

 このようにAIは、障害のある児者にとってあらゆるバリアを低減させてくれます。
AIの時代を生きる児者にとって、自立と社会参加に必要なこと、重要なことは何でしょうか。
 上にみてきたように知識・技能、スキル、ADL(日常生活動作)の重要性 は格段に下がり、思考力・判断力、学びに向かう力が相対的にではなく、絶対的に重要になるはずです。
 行きたい場所があれば、車が連れて行ってくれます。きれいにしたければ、ロボットが掃除をしてくれます。外国の方と話したければ、翻訳アプリ内蔵ウェアラブル機器がストレスなく通訳してくれます。
 こうしてみると、やりたいことがある、伝えたいことがあることが最も重要のようです。
 子どものやりたいこと、伝えたいことを育むためには、「自分で決めて(自律)、必要な支援を求めながら、自分の力で(自立)やりとげる」経験が豊富に必要です。
活動をとおして学ぶことが得意なふれあいの子どもに、年齢にふさわしい多様な経験をたっぷりと用意したいものです。

校長室より(24)AIの先へ(前編)

 日本の職業の49%が、10〜20年後に機械・ロボットによって代替が可能となると予測されています(野村総合研究所)。 
子どもたちは、身に付けた知識がすぐに使えなくなる時代を生きることになります。学校は、生涯学び続ける子ども、自ら学ぶ子どもに育てることが求められています。 「主体的、対話的で深い学び」は特別支援教育でこそ実現しなければならないのです。

 グーグルカー(Googleによる自動運転の実用化)は、日常的な問題には、ほぼ対応できるまでになっており、議論の論点は、自動運転が実用化した場合の運転免許のありかたや道路交通法の改正箇所等に移行しているそうです。
こうしたテクノロジーは、介護の領域では、障害のある児者の支援ばかりではなく、支援者の負担軽減のためのロボットスーツが実用化され(テレビCMも流れていますね)、さらには癒しや介護を行う研究も進められています。

校長室より(23)Aちゃんの話〜育てたのか、育ったのか(後編)

 そこで、Aちゃんの手が届かない所に置くと、彼はすっくと立ち上がり、ボールや新聞の切れ端を両手いっぱいに取り出した。こぼしたりばらまいたりしないように床に置くことを繰り返すうちに、動きも俊敏になった(また不発)。

 以上、前号再掲

 いよいよ棚の上に置くと、Aちゃんは怒り、ついに私に助けを求めた。ここで、母親に手伝ってもらいながら、欲しい物を指さして声を出す(お願い、取って)を身に付けた(三項関係まであと一歩)。
 ここで、夏休み。母親と姉(弟思いの優しいお姉ちゃん)は、Aちゃんが求めていることが分かるようになったと喜んでくれたが、歩行の課題は残った。

 夏休みが終わり、玄関で待っていると、Aちゃんが車から降ろされました。ここまでは、いつもどおり。しかし、その後が違いました。Aちゃんが満面の笑顔ですたすたと歩き出しました。その後ろを母親と姉が笑顔でついてきます。
 指導後、スタッフ一同、Aちゃんが歩けるようになったことで盛り上がっていると、スーパーバイザーから一言。
「それは、あなたがAちゃんを育てたのですか、Aちゃんが育ったのですか」
そうです。歩けるようになった要因を明らかにすることがプロの役割、仕事なのです。

校長室より(22)Aちゃんの話〜育てたのか、育ったのか(前編)

 Aちゃんと出会ったのは、彼が年中、私が教職12年目の春。知的障害、聴覚障害と口唇口蓋裂のほか、全身いたるところに疾病のあるAちゃんは、立位はとれるが移動はハイハイ、相手の顔を見てうなるような声で彼なりに要求を伝えていた。
ご家族の期待は、歩行と明確な要求表現(家族にも何を要求しているのかくみ取ることが困難だった)。
 Aちゃんのお気に入りを探り、あれこれ試みた結果、ボールプール(ひたすら潜り込む)、新聞シャワー(ちぎった新聞紙を顔面に浴びてご満悦)にたどり着いた。 Aちゃんはお気に入りをもっともっと楽しみたくて、相手を見て人差し指を立てて声を出す(もう1回お願い)を身に付けた。
次は、あらかじめ用意していたボールやちぎった新聞を棚に置くことにした。自分で用意する手順を加えても、Aちゃんは、楽しむためにボールや新聞の切れ端をせっせと運んだ(手伝っての要求を目論んだのが、不発)。
 そこで、Aちゃんの手が届かない所に置くと、彼はすっくと立ち上がり、ボールや新聞の切れ端を両手いっぱいに取り出した。こぼしたりばらまいたりしないように床に置くことを繰り返すうちに、動きも俊敏になった(また不発)。

校長室より(21)「魔法の生活」を送らせない

10年ほど前に書いたものです。

重複学級のお楽しみ会の準備を参観しました。一人一人がそれぞれの役割を果たしながら、楽しそうに準備を進めていました……キャリア教育。
ついつい時間を有効に使おう(?)と、放課後時間等に教師が準備をしていまいがちですが、準備から片付けまで体験させることが大切です。物事には始まりと終わりがあることを体感しながら知る、見通しをもつ等々、とても有意義なことです。
準備活動をとおして、さまざまな教科等の指導を行うこともできます。
ある先生は、ミニ・ツリーにオーナメントを掛ける生徒に、掛けるにはちょっとがんばって手を上げなければならない高さに調整していました……保健体育、自立活動。
また、ある先生は、生徒の所作を言語化して伝えていました……国語、自立活動。
「授業に関する考察2013.5.31(小出特別支援学校、小網)」

席で待っていると、先生がどこかから教材を運んでくる。指示どおりやりとげると、先生がどこかへ持って行く。作業や活動は楽しかったけど……、突然の連続なんだ。

これが「魔法の生活」です。魔法の生活では、因果関係や時間感覚の理解、わくわくする喜びを育てるせっかくのチャンスが生かし切れないと思われてなりません。
準備と片付けをとおして、準備は始まり、片付けは終わりを意味することが分かってきます。始めと終わりとで変化するもの(材料)(自分の気持ち)があり、変化しないもの(道具)もあることの理解も進みます。さらに、必要なものをそろえることは、見通しをもつことにつながります。何より、自ら働きかける姿勢が身に付きます。
小学部も中学部も、サーキット走の際に、子どもがコーンやバーをセッティングし、片付けています。さすがふれあいの教育です。ぜひ続けてください。そして、学校生活全般で、こうした学びの機会を設けましょう。

校長室より(20)自ら学び取る子どもを育てる(その3)

学びは、MT(メインティーチャー)を見て、説明や指示を聞くことから始まります。このとき、子どもはMTに注目します。注目していない子どもには、MTが注目を促し、必要に応じてST(サブティーチャー)がそれを支援します。注目できたら、MTが認めます(ほめます)。
【ポイント1】
STが注目を促したりほめたりすると、子どもはSTに注目してしまいます。
某教授風に言うと、「MTは見なくていいぞ」ということです。
次に、子どもが参加・活動します。このとき、MTは、自力で参加・活動している子ども(一歩リードしている子ども)をモデルに、十分にできていない子ども、困っている子どもに働きかけます。STは、必要に応じて十分にできていない子ども、困っている子どもを支援します。
そして、多くの参加・活動している子ども(半歩リードしている子ども)をモデルに、困っている子どもに働きかけます。STは、必要に応じて、困っている子どもを支援します。
【ポイント2】
STは特定の子どもだけを支援するのではありません。その学習集団の十分にできていない子ども、困っている子ども全員が支援の対象です。時に、モデルタイプの子どもが支援を必要とすることもあります。STは全員を視野に入れて支援します。
最後は、子どもがMTに報告に行き、評価を受けます。このとき必要に応じて、MTは報告がより適切になるように働きかけます。
【ポイント3】
STは、(1)他児に注目させる、自らモデルを示して報告を促す(2)MTの指示で補充指導をする(3)報告のモデルを示す、報告を介助する等の支援をします。

校長室より(18)自ら学び取る子どもを育てる(その1)

子どもの学びは、全員が参加・活動することから考えます。
「理解している」「学んだことを使おうとしている」は、参加・活動した結果です。また、「問題行動がある/問題行動はない」ということには着目する必要がありません。そもそも参加・活動していれば、問題行動は起こしようがありません(参加・活動できないから、問題行動を起こしているのだと考えることもできます)。
 どのように「参加・活動」を促すかを考えるために、学びの基本形、私たちはどのように学ぶのかを考えてみましょう。
 「跳び箱、鉄棒、水泳」「絵画、工作、習字」などがイメージしやすいかもしれません。モデル(お手本)を見せて説明や指示をし、学ばせる、見習わせます。これが学びの基本形です。山本五十六の有名な言葉は、このことを端的に示しています。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ

 したがって、「全員が参加・活動する」ための第一歩は、モデルとなる子どもをより多く、より高く育て学級の質を上げることです。モデルとなる子どもはスキルが高く、行動も変化しやすいうえに、時々「ありがとう」「助かるよ」と声をかけるだけで張り切ります。戦略として、モデルとなる子どもを重点的に育てましょう。
 その上で、授業では、まず学級全体に働きかけます。次に、参加・活動している子ども(一歩リードしている子ども)をモデルに、十分にできていない子ども、困っている子どもに働きかけます。そして、多くの参加・活動している子ども(半歩リードしている子ども)をモデルに、困っている子どもに働きかけます。
 課題理解や指示理解のチャンスが多いほど、困っている子どもは、参加・活動しやすくなります(指導が容易になります)。

校長室より(17)有言実行で保護者と向き合いましょう 2

前回「月刊 日本教育2019年9月号」に掲載された3人の提言を照会しました。
保護者は教育のパートナー 東京聖徳大学石隈利紀教授
保護者には報告より相談 岐阜聖徳学院大学玉置崇教授
いじめ問題の増加と保護者からのクレーム対応 桃山学院教育大学古川治客員教授

 私は、保護者に「有言実行」すなわち「予め目標・目的、方法・手立てを伝えて、具体的な子どもの姿で成果と次の目標を伝える」ことが大切だと考えています(毎年4月初回の職員会議で伝えています)。有言実行は、3人それぞれの提言に応えるものであると考えます。

 最後に、石隈提言の一節に心に留めたい言葉がありましたので引用してこの稿をとじます。
「親の意見をよく聞いて」とは、決して親の言いなりになれということではありません。
LDのある子どもの親の会の方に「どのような先生がよい先生ですか」と尋ねたことがある。「LDについてよく勉強している先生」という回答を期待したが、返ってきた答えは「親の意見をよく聞いて子どもとの関わりを変えてくれる先生」であった。

 来る令和4年が幸多い年でありますように。
 皆様、良いお年をお迎えください。

校長室より(16)有言実行で保護者と向き合いましょう1

「月刊 日本教育2019年9月号」で「保護者と向き合う」という特集が組まれ、3人の提言がありました。
保護者は教育のパートナー 東京聖徳大学石隈利紀教授
 教師は教育への熱意と責任感から「私は教員として……でなければならない」「同僚の教師は……でなければならない」「保護者は……でなければならない」と思い込みやすい。この思いが熱く堅くなり過ぎると、他の教職員や保護者の意見を尊重することができなくなったり、怒りを感じたりすることもある。保護者とよいパートナーになるために自分の思いを点検して、柔軟な考え方を目指したい。

保護者には報告より相談 岐阜聖徳学院大学玉置崇教授
 学校は伝えるべきことを伝えず、保護者に誤解されることがある。もっと学校の考えや取組の背景にあるものを伝えていくべきだ。さらに、保護者が学校を創っている当事者意識をもち、主体的に関わってもらうことが必要だ。

いじめ問題の増加と保護者からのクレーム対応 桃山学院教育大学古川治客員教授
 保護者からのクレームは、2010年頃「教育委員会・議員・マスコミに言うぞ」から「子ども人質論、脅し・恐喝型、示談金要求・訴訟型」へと変わった。そして、2013年の「いじめ防止法」制定により新たなステージに入った。教師は「教育的解決」だけではなく「法的解決」で決着をつけるスキルと習慣を身に付けなければならない。

校長室より15 意識的に学習方法を指導しよう(続き)

【再掲】
 同級会で教え子たちの言葉を拾っていくと、興味深かった「学習内容」の話題があるのはもちろんですが、「学習方法」の話題もあります(説明文や設問の読み方、辞書や索引の活用が役に立っている。自分の子どもに同じ方法で自学をさせている等)。
【続き】
 特に、特別支援教育では、学び取る姿勢が大切であり、「学習方法」をしっかり身に付けることがより重要です。
 このとき、共生社会を生きる子どもを育成する視点から、通常の学級―通級指導教室−特別支援学級―特別支援学校の教育を接続・連続させることが必要です。「学習方法」は、どこの教室でも使えるもの(汎化できるもの)にする、「特異な学習方法」にはしないということです。また、支援を求めることも主体性です。自ら支援を求める姿勢と適切な求め方を身に付ける必要があります。
 最後に、「学習内容」と「学習方法」の指導の原則を示します。
 新しい「学習内容」は、身に付いている、既知の「学習方法」で学ぶ/教える。
 新しい「学習内容」を新しい「学習方法」で学ぶことは、とても困難です(逆も同じ)。繰り返しになりますが、「学習方法」を身に付けるには時間がかかります。ですが、一旦身に付けば加速度的に学びが進みます。意識的に学習方法を指導しましょう。

校長室より14 意識的に学習方法を指導しよう

授業では、子どもに「学習内容」と「学習方法」を教えています。
 私たちは、ついつい何を教えるか(学習内容)に目が向きがちですが、意識して「学習方法」を指導しようというのが今回の提案です。
 私は学級通信にこのように書いてきました(小学校でも、特別支援学校でも)。
 自分一人で知りたいとき、やりたいときに使える知識や方法を教えておくのが教育である(教師を必要としなくなるように育てるのが教師の仕事だと考えています)。
 自立するためには、しっかりと「学習方法」を身に付けることが大切です。しっかり学べば、「学習内容」は自ずと身に付きます。この先「学習内容」が陳腐化して使えなくなっても、「学習方法」さえ身に付いていれば更新することができます。「学習方法」を身に付けるには時間がかかりますが、身に付けば加速度的に学びが進みます。
 同級会で教え子たちの言葉を拾っていくと、興味深かった「学習内容」の話題があるのはもちろんですが、「学習方法」の話題もあります(説明文や設問の読み方、辞書や索引の活用が役に立っている。自分の子どもに同じ方法で自学をさせている等)。

校長室より13 指導のポイントは合っているか

 ずいぶん前に読んだ実践記録のメモが手元にあります(出典は不明です)。
【メモ】
「教師の存在そのものが教育だ」というが、むしろ私の存在が障害になっているのではないか。

 教育に真摯に向き合っているからこその厳しい言葉です。メモには続きがあります。
【メモ】
「学校から得意そうに自転車で校外に出てしまう○○を叱り続けた」
 何回も学校から出てしまう○○を教室に正座させ、私も正座して長時間叱り続けました。「学校から出たら×でしょ」と何度も言い聞かせました。○○は泣いたり怒ったりしながらも、「学校から出たら×」と手で×の合図をしました。しかし、彼が学校から外に出る回数は減らず、正座が繰り返されました。
 しかし、この悲しい関係もなくなる日がきました。学校から外に出られる8箇所の1つ1つの場所で、自転車を内と外に置いて「こっちは○です」「こっちは×です」と確認しあった日を境に、構内で自転車を楽しむようになったからです。
 その後、○○は「学校から出ない子どもは○」と、満面に笑みを浮かべて私にサインを送りながら自転車を楽しんでいました。

 この子どもは「学校から出たら×」は分かっても、学校にいる状況、学校から出た状況そのものが分かっていなかったのです。指導のポイントがずれていたのです。
 繰り返し指導しても効果がない場合、指導のポイントそのものをチェックする必要があります。
 「何回言っても、できない」「何回させても、できない」とすれば、「言っていること」「させていること」じたいが間違っているということです。

校長室より12 私の先生なんか、片手でピアノが弾けるんだからね2

「特別支援学校は職員数が多く、一人一人に対して手厚い指導、支援を行ってもらえる」と、たびたび耳にします。
 これは、二つの意味で誤りだと言いたいのです。

 第一に、「人海戦術」は褒め言葉ではない。児童生徒の自立に向け、指導するのですから、最終形は、チームで支援しつつ(これは外部からは見えない、分からない)、年度当初よりも少ない人員で指導する体制、学級やグループによっては一人で指導する体制になるはずです(これは外部から見え、分かる)。ですから、参観者に「指導途中の様子です。年度末にはまた違った様子を見ていただけます」と話しています。

 第二に、「特別支援学級の方が、人手が多い(ことが多い、ことが少なくない)」。こちらについても、子どもは子どもから学び取るように育てるという視点から適切かどうか、検討が必要ではないかと話すようにしています。

 ちなみに、私の初任校は、肢体不自由の特別支援学校。件の子どもは三肢麻痺(両足と片手の麻痺)、その子にとって着替えや作業などが片手でできるようになることは大きな目標でした。
 ですから、片手でピアノが弾けることは自慢できることと思っていたのでしょう。

校長室より 11 私の先生なんか、片手でピアノが弾けるんだからね 1

これは新採用の5月、担任する子どもが隣のクラスの子に放った言葉です。
 私は小学部2年生の担任。ある朝、1年生担任と教室に向かう途中、子どもたちが口喧嘩をしていました。1年生が「私の先生は絵が上手だ」と担任自慢をしたのに対し、私の学級の子どもが言い返したのがタイトルの言葉でした。
「小網先生、愛されてますね」の言葉に冷や汗一斗。ほろ苦い思い出の一つです。
 さて、本校を参観された方々から数々のお褒めの言葉をいただきます。
「指導が丁寧ですね」
「掲示が工夫されていますね」
「先生方が明るいから、子どもたちも明るいんですね」
 チームふれあい、職員の努力の賜です。
 ですが、時に引っかかることもあります。それは、「手厚い指導をされていますね」と言われることです。
 「特別支援学校は職員数が多く、一人一人に対して手厚い指導、支援を行ってもらえる」と、たびたび耳にします。
 これは、二つの意味で誤りだと言いたいのです。

校長室より 10「手取り足取りでの100点」と「自ら学び取った10点」どちらが尊いか

日本の職業の49%が、10〜20年後に機械・ロボットによって代替が可能となると予測されています。以下が代替可能と予測される職業です。(野村総合研究所)
小売店販売員 会計士 セールスマン 乗用車・バンの運転手
荷物の箱詰め・積み下ろし作業員 レジ・切符販売 一般秘書 カウンター接客係
大型トラック・ローリー車の運転手 コールセンター・施設の案内係
 子どもたちは、身に付けた知識がすぐに使えなくなる時代を生きることになります。学校は、生涯学び続ける子ども、自ら学ぶ子どもに育てることが求められています。 「主体的、対話的で深い学び」は特別支援教育でこそ実現しなければならないのです。
子どもの「独り立ち」とは、自分で決めて(自律)、必要な支援を求めながら、自分の力で(自立)やりとげる姿と言えます。 
そのためには、一人で知りたいとき、したいとき,
支援の求め方を含め、その方法を知っていることが必要です。
そして、何より学び取る姿勢が大切です。
これまで教育相談で「保育園・幼稚園や、小学校に入園・入学したら、子どもの言葉が悪くなった」という相談を多く受けてきました。
 私は、このようにお話してきました。いかがでしょうか。
「よかったですね。教えてもらっても中々身に付かないのに、お子さんは教わってもいないことを自分で学んだんですね。将来が楽しみですね。大丈夫です。1か月もすれば落ち着きます」。
「手取り足取りでの100点」よりも「自ら学び取った10点」が尊い。このことを先ず共有したいのです。

校長室より9 自己有用感を育くむ2

私は、自己有用感について考えるとき、重松清著「ひこばえ」(朝日出版社)の一節を思い起こします。
 「あのひと、誰かになにかをお願いされたことって、もう、ずうっと、何年もなかったんじゃない?」
私もそう思う。誰からも頼りにされず、願いごとを託されず、だから、当然、誰からも  「ありがとう」と言われるこのない日々を、後藤さんは長年送ってきたのだ。
 「やり甲斐とか生き甲斐っていうのは、誰かに「ありがとう」と言われることなのかもしれないよな」
ご家庭でも、学校でも、「ありがとう」を伝えるチャンスはたくさんあります。手伝いや役割は「させる」ものではなく、家族や仲間のために力を子どもが力を発揮するチャンスと考えて、頼んだり用意したりしてはどうでしょうか。

校長室より8  自己有用感を育くむ1

十日町市では、すべての学校で子どもの自己有用感を育くむ取組を進めています。この自己有用感は、「他人の役に立った」「喜んでもらえた」といった他者とのかかわりの中で育つものだと言われています。

中学部の缶バッジ(十日町の魅力シリーズ1)製作に対し、NPO TASC様(十日町市大字稲葉)から奨励金をいただきました。詳しくお話を伺うと、十日町市の観光名所バッジ製作を通して郷土の魅力を発信し、十日町の発展に貢献しようとする取組を高く評価していただいたとのことでした。
本校の取組が「他人の役に立った」「喜んでもらえた」ことを生徒と共に喜びたいと思います。

校長室より(7)どきどきわくわく ときめく2学期に

 時間の流れは一定なのに、私たちは、長く感じることもあれば短く感じることもあります。

 NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」で「大人になるとあっという間に1年が過ぎるのはなぜ」という質問があった。回答者は正解を言えず、チコちゃんに例の言葉で叱られていたが、答えは「人生にときめきがなくなったから」だそうだ。子どもは目の前で起きることに発見や疑問、驚きなど様々な感情を抱き、ときめいているから時間を長く感じるのに対して、大人は毎日が同じことの繰り返しに思えてときめかず、時間を短く感じるという。
 今井環氏(日本相撲協会理事)「ときめく時間を持ち続けたい」日本教育2019.8

 なるほど、旅行では、あれこれ思いをめぐらせる行きの時間は長く、日常に帰るだけの帰りの時間は短く感じます。往路では寝ないのに復路では寝てしまうのは、疲れもありますが、ときめきがないからなのですね。
 さて、授業や行事にあれこれ思いをめぐらせながら臨むことで、ときめきが生まれ、一コマ一コマにわくわくどきどきすることでしょう。そのために、子ども一人一人が見通しをもつことができるようしかけ・準備が必要です(段取り八分です)。

 「見通し」とは、辞書の定義では「初めから終わりまで全部見ること」。「見通しが立つ」「先行きの見通し」などの用例からおおよそ見当がつきます。
 子どもの視点に立つと、具体的にはどういう状態でしょうか。

(1)日程、手順、内容が分かって臨む
(2)目標を達成しようと臨む、自分の役割を果たそうと臨む

(1)の段階にとどまらず、(2)の段階までいたっていれば、ときめきが生まれ、一コマ一コマにわくわくどきどきすることでしょう。

校長室より(6)プロの力2

令和元年度から村中智彦教授(上越教育大学)から指導力向上に向けてご指導をいただいています。村中教授が一人の中学部生の身体のぎこちなさを指摘されたことがありました。観察の時間はわずかしかなかったはずです。プロの力を見せつけられた気がしたのは、私だけではなかったことでしょう。子どもの言動を観察し、適切な次の一手を繰り出すことのできる力量を身に付けたいと、改めて感じました。
高校生、大学生の頃、塗装、レストラン、自動販売機の設置、大工等いろいろなアルバイトを経験しました。どこでも、仕事が速く、正確で、きれい(美しい)方々に共通していたのは、しっかり事前準備をするということでした。動き出してから、足りない物を取りに行くといったことがないのです。
これまで初任者研修を担当すると、「プロの仕事は段取り八分」と伝えてきました。村中教授風に言えば、分かる動けるための環境づくり、支援ツール作成を徹底することがプロ教師の仕事ということになるでしょうか。
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