空飛ぶ室外機さっそく活動が始まりましたサプライズ「お願いね」「がんばります!」ピカピカの校歌シリーズ学校の150年4 学校の変遷その2(大正〜昭和時代)昭和13年 4月 中魚沼郡中条村飛渡尋常高等小学校となる 16年 4月 中魚沼郡中条村飛渡第一国民学校と改称 22年 4月 中魚沼郡中条村立飛渡第一小学校と改称する 23年 4月 中条中学校飛一分校開設併置 23年12月 中学校教室として中条小学校校舎の一部2階建て25坪を移築する 37年11月 三ツ山分校校舎落成式 39年 4月 池谷分校の5・6年生、本校に通学することになる 39年11月 池谷分校屋内体育館竣工 41年12月 鉄筋3階校舎新築、創立90周年記念祝賀式挙行 47年 4月 新座小三ツ山分校が飛一小の分校となる 大正から昭和中期にかけ、現在の学校に至るまでのたくさんのできごとが続きました。 今年の集大成昔語りや劇、手品や科学研究発表、全校ダンス等、今年度高めた表現力の集大成を見ていただきました。「常に前向きかつまじめで見ていて気持ち良いです。来年も変わらない元気な姿をまた見せてくださいね」「良くできましたね。方言も上手で涙が出ました」「語りの間も良くとても聞きやすかったです。とても勉強になりましたよ」「一人一人が力を合わせて素晴らしい作品を仕上げてくれました。大人も頑張らねばと改めて感じました」「小さい学校の大きな力、あっぱれ」…。ここに書ききれないほどの励ましのお言葉をいただきました。見て励まし、価値づけてくださる方々のおかげで、子どもたちはやり遂げた成就感に満たされながら、また一つ自分に自信をもつことができるようになりました。ご来場の皆様、ありがとうございました。 シリーズ学校の歴史 3 開学時の偉大な教師【橋本清九郎】 画号を「柊園(しゅうえん)」と名乗り、毛の1本1本まで丁寧に描き込む虎の絵の大家。35代中田校長先生は、橋本清九郎先生の功績をまとめられ、その資料は現在も校舎3階に展示されています。それによると、竹林の虎の絵は、柊園が虎を、川治の村山長八(画号「竹翁」)が竹を描いた2人の合作によるものであると記されています。(写真左) 【水落又平】 俳号を「暁翠園李東(ぎょうすいえんりとう)」と名乗り、俳句の大家。句誌「寰中百人衆(かんちゅうひゃくにんしゅう)」(百人の俳人の句を集めた句集)を編みました。この本には、行書で書かれた俳句とともに、人物にはうっすらと肌の色を差している絵も描かれ、当時としては大変手間をかけた本であることが分かります。(写真右) 東枯木又の阿部三代継さんのお宅には、このお二人の貴重な作品が保管されています。 このうち「竹林の虎」の絵は、中田校長先生の資料の絵とは構図が異なり、この2名による合作が複数あることが分かります。 偉大な教師が、飛渡第一小学校の礎を築いたのです。 ウサギのルナおいしくできた!シリーズ学校の歴史2 学校の変遷(開校〜明治時代)11月 軣木(とどろき)校が開校 明治 9年 9月 四日町校派出校として池谷分校開校 明治12年 2月 新座密山派出教場 明治14年 8月 第14中学区第2小学区公立中条分校新水校となる 明治20年 5月 中魚沼郡簡易科新水小学校となる 中条小学校附属新座校密山派出教場 明治23年 3月 中所尋常小学校池谷分教場となる 明治25年 4月 中魚沼郡立飛渡尋常小学校となり池谷分教場は飛渡校の分教室となる 明治25年 4月 新座尋常小学校密山分教場 明治41年 8月 中魚沼郡中条村飛渡尋常小学校となる 義務教育6か年となる 軣木、池谷、密山、多くの学校があり、また学校名の漢字も今と異なっていたのですね。 進級進学に向けて旅立ちのとき6年生ありがとうインフォメーション 〜サケの旅立ちを祝う会〜子どもたちが育てたサケの放流を行います。地域の方からもご参加いただき、子どもたちと一緒に飛渡川の環境保全について考えていただければと思います。 日時:3月2日(土)14:00〜14:40 場所:学校脇の飛渡川河原 学校で過ごす最後の日 |
|