シリーズ学校の歴史 3 開学時の偉大な教師【橋本清九郎】 画号を「柊園(しゅうえん)」と名乗り、毛の1本1本まで丁寧に描き込む虎の絵の大家。35代中田校長先生は、橋本清九郎先生の功績をまとめられ、その資料は現在も校舎3階に展示されています。それによると、竹林の虎の絵は、柊園が虎を、川治の村山長八(画号「竹翁」)が竹を描いた2人の合作によるものであると記されています。(写真左) 【水落又平】 俳号を「暁翠園李東(ぎょうすいえんりとう)」と名乗り、俳句の大家。句誌「寰中百人衆(かんちゅうひゃくにんしゅう)」(百人の俳人の句を集めた句集)を編みました。この本には、行書で書かれた俳句とともに、人物にはうっすらと肌の色を差している絵も描かれ、当時としては大変手間をかけた本であることが分かります。(写真右) 東枯木又の阿部三代継さんのお宅には、このお二人の貴重な作品が保管されています。 このうち「竹林の虎」の絵は、中田校長先生の資料の絵とは構図が異なり、この2名による合作が複数あることが分かります。 偉大な教師が、飛渡第一小学校の礎を築いたのです。 |
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