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シリーズ学校の150年 8 「人々の思い」

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6回目で「グラウンド」、7回目で「プール」の歴史を取り上げ、これらの事業のために多くの学区民、児童生徒が献身的に作業に携わったことを紹介しました。
100周年記念誌にはそれらの活動に関わった方々の思い、エピソードも掲載されていますので紹介します。

S22〜S32に奉職された第15代村山省吾校長は、「校舎建築にグランド拡張、庭園整備等何年たっても仕事はつきない。中学生は殆ど毎日のように、作業に従事した。時には五、六年生の小学児童まで参加した。中でも崖下の飛渡川からの玉石はこびは、さすがの山の子達にも相当こたえたことであろう。ただ、黙々と先生の指示通り働いた。今にして思えば、けなげといおうかふびんといおうか胸の詰まる思いである」と回顧されています。小山秋作先生(S23〜S34)も同様の記述をされていました。
また、当時の生徒として、三ツ山の大津昭さんは「あの頃は生徒数も多く、私達中学生が遊ぶと小学生は隅の方で小さくなって遊んでいる状態でした。そんな時、今の体育館の工事が始まりました。私たちは毎日「たがら」と言う小さいかごを背負って学校へ行き、下の川から玉石を背負い上げました。体格の良い男生徒は材木運びを手伝い、一日も早く完成させようと、皆が必死でした。…」

川から校地への高低差。人力で重い石を運び上げる作業が相当な苦労であったことは、想像に難くありません。こうした人々の思いがあって、私たちが今学ぶことができます。

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