さくら学級 社会 その2

1221年に起こった朝廷と武家政権による内乱は「承久の乱」と呼ばれています。
京都(西日本)の後鳥羽上皇が、天皇家の実権を回復しようとして、鎌倉幕府(東日本)にいる北条義時を打倒しようと兵をあげた、朝廷対武家の争いです。当時、朝廷の命令は絶対だったのですが、源頼朝の妻である北条政子の「頼朝様の御恩を忘れてはならぬ」という言葉に結束を固め、やがて鳥羽上皇は降伏します。

その後、モンゴルからフビライ・ハンが九州を攻めてくる「元寇」が起こりました。1274年の文永の役と1281年の弘安の役です。元寇では大きな打撃を受けながらも、何とか切り抜けることができました。しかし、この後、執権に就いていた北条時宗は大いに悩みます。「御恩と奉公」です。日本の武士はよく働きました(奉公)が、時宗は戦に勝ったのに褒美としての与える土地(御恩)を持っていませんでした。フビライ・ハンは外国人で海の向こうの土地を摂取できないからです。さらに、財政難のなか、三度の元寇に備えて改めて国防を強化する必要もあったのです。このあたりの歴史の流れを話術たくみにお話くださいました。担当は師岡先生です。
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学校予定
12/17 安全指導
12/18 保護者会(3年なし)
12/21 一斉委員会
12/23 学年会