最新更新日:2024/07/03 | |
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砺波市立出町中学校
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第114号 東京2020オリンピック・パラリンピック
東京2020オリンピック・パラリンピックが幕を閉じました
人間の力・可能性を、改めて感じさせてくれた大会でした 特に、パラリンピックに関しては、今回ほどしっかり観た大会はありません そのため、多くの気付きがありました その中でも特に、競泳の木村敬一選手、陸上の道下美里選手の姿から、表現できない強いものを感じさせられました 木村敬一選手 名前が同じ敬一であることから、以前から注目していた選手です 前回のリオデジャネイロ・パラリンピックまでの3大会で、獲得したメダルは銀3個、銅3個 リオ大会では金メダルの大本命と言われながら2位・・・ その悔しさから、まわりの反対を押し切って単身渡米し、水泳修行 それはアメリカのコーチでさえもアンビリーバブルと驚く行動でした なぜなら、介助を同伴しなかっただけでなく、そもそも彼は英語が話せない状態だったからです 9/3(金)の男子100mバタフライ(視覚障害S11)のレースで、念願叶い優勝!! レース直後のインタビューでこう答えます 「この日のために頑張ってきたこの日って、本当に来るんだなと 特にこの1年はいろいろあって、この日は来ないんじゃないかと思っていたんで・・・ 家に帰って思い切り泣きたいです」 これまでの苦労や想いは、想像を遙かに超えるものでしょう 同じレースで銀メダルを獲得した冨田宇宙選手のインタビュー 「金メダルを目指して銀メダルなので本当は悔しがらなければいけないけど、木村君が金メダルを取ってくれたことが本当にうれしいし、そこに続いて僕がゴールできたことも本当にうれしい」 また、ライブ中継のスタジオの解説者、放送ブースの解説者が、話すことができなるほど涙する様子から、木村選手は本当に多くの方に応援されていた選手なのだと感じました 木村選手の世界一の本気が、多くの人の心に伝わったからでしょう 女子マラソンの道下美里選手 前回のリオデジャネイロ・パラリンピックは銀メダルで、表彰式で悔し涙を流します 膠様滴状角膜ジストロフィーという難病を発症し、中学2年で右目を失明 20代半ばには左目の視力もほとんど失ったそうです 26歳で入学した盲学校の体育の授業で、「音源走」という、音のする方向に向かって走る短距離走を初めて体験します 最初はダイエットが目的だった陸上ですが、学校に赴任してきた体育教師の安田祐司先生の指導で、本格的に取り組みます そして結婚後、転居した福岡県で視覚障害者のランニングクラブに加入 視覚障害者と伴走者をあわせて10人ほどだったメンバーは、現在180人近くに増えたそうです 「彼女が明るく前向きに頑張る姿を見て、少しずつ仲間が増えた」とクラブの元会長は話されていました 今回は雨の中のレース ゴール直前には、彼女の勝利を祝福し、そして彼女を支えた多くの人の支援を称えるかのように、雲間から日が差します 下の画像の影を見てもよく分かりますが、ゴールまであと400mのときはまだ日が差していません 雨が降り、湿度の高い中での熾烈なレースだったのがうそのような光景でした 生中継を観ていて、木村選手の姿も、道下選手の姿も、涙でよく見えなくなりました 歳をとると誠に涙腺が弱くなります 二人とも、「表彰台で国歌を聴いて、本当に1位になったと実感した」と言います メダルの色が見られない二人にとって、表彰台で国歌を聴くことがどれだけのことか・・・ 多くの人に応援してもらえる選手(人)は、強いです やはり、人は一人では生きてはいけないのです 道下選手が言います 「最高の伴走者と最強の仲間がいたから、たどり着いた 本当に夢みたい」 翌朝のインタビューで、「その日の夜は寝てしまうと、朝目が覚めたときに、『これは夢だった』となるかもしれないと、不安でなかなか寝られなかったんです」と、笑顔で答えていた姿からその人柄を感じました 二人に共通する、応援したくなる人ってどんな人でしょう? 出中生諸君! ぜひ考えてみてほしいです ちなみに、来年5月1日から15日まで、ブラジルで24回夏季デフリンピック競技大会が開催されます この大会も新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により2021年12月5日〜21日の開催予定だったものが、半年ほど延期されました 「夏季デフリンピック」 さて、この名称を聞いて、これが何の大会か分かる人は出町中学校にどれくらいいるのでしょう? これもどこかで出中生に聞いてみましょう・・・ |
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