最新更新日:2024/06/05 | |
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砺波市立出町中学校
住所:〒939-1366 富山県砺波市表町18番29号 TEL:0763-33-2329 FAX:0763-33-2330 |
縁の下 no.722今は、新年度の生徒会テーマの決定に向けて準備しているようです こういうことを生徒会員は気付いてほしいなと思います だからこそ、ここで紹介しているのですが、メンバーの活動する姿をありがたいと思い、応援します そんなメンバーの姿を見て「縁の下の力持ち」という言葉が頭に浮かびましたが、ちょっと待った!! この言葉には注意が必要です そのことを確認するために、ふたつの国語辞典を調べてみます えんの・した【縁の下】 −の力持ち 人のために努力・苦労しても、認められないこと。転じて、人に知られないが、陰で努力・苦労すること。また、その人。縁の下の舞。 −の・まい【縁の下の舞】(一説に、垣下の舞から)他人のために苦労をするものの、認められないこと。無駄な骨折り。 ※新村出編 広辞苑 第7版(岩村書店)p354より えん-の-した【縁の下・掾の下】 えんのしたの 力持(ちからも)ち 人に知られないで、陰で苦労、努力することのたとえ。他人のために骨折るばかりで、世の中に認めれらないこと。また、その人。*浮・小児養育気質(1773)二「数の多き事故進物遺ふて間違えばゑんの下の力もち」 ※精選版 日本国語大辞典1 あ▷こ(小学館)p676より よく読むと、少し言葉のイメージが変わりませんか? 日本国語大辞典では、「進物を間違えて贈ると無駄になる」という例文が紹介されています 何とも、ネガティブな使い方です 現在多くの人が持っているであろう、この言葉のイメージは、ポジティブなものではないでしょうか 本来の意味がどうであれ、メンバーを見て浮かんだ言葉はポジティブな意味です ネガティブなのは、「誰も見ていないところで頑張っても意味がない」と読み取れる文章だからで、朝、わたしが生徒会室で見たメンバーの姿とは合致しません まあまあ生きてきたわたしの人生の中で、見られていないから無駄なんて経験はないです 誰も見ていないとしても自分自身は必ず見ています 誰も見ていないなら手を抜こうとか、ずるしようとか、そんな自分を信じられるかということです 昔の人は言いました 「お天道様が見てござる」 うまい表現だとわたしは思います よりよく生きるということは、誰かに見られているからではないのです よりよく生きることは、自分自身が納得できる生き方だと思います これは「自分の機嫌は自分でとる」ことに通じていますかな また出中生の姿に多くのことを学ばせてもらいます ありがとう あれ? そもそも出中生は「縁の下」って理解できるでしょうか? 見たことはあるのでしょうか? |
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