最新更新日:2024/07/06 | |
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砺波市立出町中学校
住所:〒939-1366 富山県砺波市表町18番29号 TEL:0763-33-2329 FAX:0763-33-2330 |
第61号 想い今まで練習してきたことのすべてを出し切って悔いの残らないようにしたいという思いを込めました。また自分の結果だけでなく、2年生や1年生に●●部のよい伝統をすべて託せるようにしたいです。これらのことができるように今まで以上に練習をがんばり先輩としての立派な態度を後輩に見せられるようにしたいです。 ※●●表記は校長による 「楽」 中学校生活最後の大会なので自分の力を精一杯出し切って勝っても負けても笑顔で楽しんで終わりたいから「楽」にしました。団体戦、個人戦両方とも笑顔で楽しんで終えられるようにあと少しの短い練習期間でも一生懸命部活や練習に取り組んでいきたいと思いました。そして最後の部活動、笑って楽しんでいきたいと思います。 上の二つの文章は、3年生教室前の掲示物からの引用です。 全学級の前に、1人1人の想いが表現されています。 今はこの2人のものしか紹介しませんが、どの言葉にもそれぞれの想いがこもっています。 その想いが学級というまとまりで教室前に掲示され、それぞれの一文字が学年というまとまりで正面階段に掲示してあります。 ※学年の様子6/15の記事、6/9の記事は←こちらをクリック 掲示物には生徒たちの想いが結集されているように感じられ、わたしはこの掲示の前で、身の引き締まる思いになります。 これを書いた3年生も、その3年生に想いを伝えられている1、2年生も、それを支える教職員も、そして、家族や地域のみなさんも、全員の力が大きな力となるでしょう。 がんばれ出中生! 大会の出中生も、写生会の出中生も、練習やいつもと同じ活動の出中生も、みんなが応援しています。 当日は、「全」員が、「全」力で「楽」しんでほしいです。 しかし、生徒の文章の行間から読めるように、「楽しむ」ことは決して「楽(らく)」ではないことだとわたしは思っています。 第60号 何が起こるか分からない 続編−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− まさしく「事実は小説より奇なり珍なり摩訶不思議なり」です。 また、何事も最後まであきらめなければ、何が起こるか分からないとも言えますね。 だから人生は興味深いのかもしれません。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 昨日、地区中学校総合選手権大会が迫った部活動の様子を観に、学校から少し離れた場所で活動するテニスコートと陸上競技場を訪ねました。 ソフトテニス部員が楽しそうにボールを打つ様子から、当日もこの瞬間と同じように、自分の力を出し切れたらよいなと感じました。 練習で意識していることが試合に出ますからね。 試合を意識した練習が、試合で生きるとも言えますね。 ボールを打つ彼らの姿を見ながら、昔のことを思い出しました。 ある学校でソフトテニス部の顧問をしていたときの北信越大会での試合です。 この対戦で勝利すれば全国大会出場が決まるという試合でした。 ソフトテニスは7ゲームマッチで、最初に4ゲームを取れば勝利です。 1ゲームは4ポイントを先に取れば、そのゲームを取ったこととなります。 この試合、もつれてゲームカウント3対3となり、ファイナルゲームに突入します。 ファイナルゲームは、他のゲームとは違い、7ポイント先取です。 自分の学校の選手が6−0でリードします。 あと1ポイントで全国大会出場決定です。 しかし、このあと流れが変わってファイナルゲームを6−8で落とし、ゲームカウント3−4で、全国大会の出場を逃しました。 選手に申し訳なかった・・・。 今でもこのことを思うと、心の奥がズンとします。 勝負の怖さを痛切に感じさせられた試合でした。 翌年、雪辱を果たして全国大会へ出場できたのですが、今でもあの敗戦の感覚が何とも表現できない形で身体に残っています。 監督として自分の力のなさを、はっきりと思い知らされた瞬間であり、「最後まで何が起こるか分からない」と強く刻み込まれた瞬間でした。 翌年の全国大会出場へ続く戦いの途中、県選手権大会の決勝で、今まで何度対戦しても勝てなかった相手との対戦がありました。 おそらく、多くの人が相手の優勝を疑わなかったでしょう。 しかし、その予想を覆し、我が校が優勝します。 1年前の敗戦が決して無駄ではなかったのだと思います。 繰り返しになりますが、世の中何が起こるか分かりません。 いいことも、悪いこともひっくるめて、「最後まであきらめない」とか、「最後まで気を抜かない」とか、本気・根気・元気で、出中生には今週末からの地区中学校総合選手権大会や写生会等の活動に取り組んでほしいと思います。 がんばれ出中生。 テニスコートの横で、次の大会に向けて練習に励む陸上部の姿も、観ていてうれしくなりました。 あ、テニスコートの横ではなく、陸上競技場の横にテニスコートがあるのでした・・・。 第59号 何が起こるか分からない年度当初の一連の健康診断が終盤にさしかかっています。 健康第一ですから、定期健康診断は、大切なチェックです。 先日、わたしも人間ドック(脳ドック付)に行ってきました。 今年は大丈夫そうです。 昨年度は思いもよらぬことが発覚し、命拾いしたので、この世の中、何が起こるか分からないと痛感しました。 何が起こるか分からないと言えば、先週金曜日、マイケル・パッカード氏のフェースブックの投稿記事がSNSをにぎわせました。 彼は海に潜ってロブスターをとっていたのですが・・・。 「みなさん、こんにちは。今日(※2021/6/11)、私に何が起こったのかを明らかにします。私がロブスター採りの潜水中、ザトウクジラが私を食べようとしました。クジラが水面に上がって吐き出すまでの約30〜40秒の間、私は彼の閉じた口の中にいました。私はひどい打撲傷を負っていますが、骨折はありません。救助し助けてくれたプロビンスタウンの救助隊に感謝したいと思います。」※意訳です ◇原文:"Hi everyone, I just want to clarify what happened to me today. I was lobster diving and A humpback whale tried to eat me. I was in his closed mouth for about 30 to 40 seconds before he rose to the surface and spit me out. I am very bruised up but have no broken bones. I want to thank the Provincetown rescue squad for there (sic) caring and help." ※原文のままです パッカード氏が地元紙ケープコッド・タイムズに語ったところによると、アメリカ、マサチューセッツ州の沿岸で海に潜ってロブスターを捕っていた時、大きな口のクジラに遭遇します。 「突然、強く押された感じがした」「次の瞬間には真っ暗闇の中にいた」と、退院後に語っています。 クジラは体長10メートルほどで、最初はサメに襲われたと思ったけれど、歯がなかったことや、自分の体に大きな傷を受けなかったことから、サメではないと思い直します。 そして、もがき始めると、「光が見え、クジラが頭を左右に振りはじめ、次の瞬間、外に出ていた」とのこと。 パッカード氏の妹は「ホオジロザメではなかったことを神に感謝します」とインタビューに答えています。 フォックスニュースは、彼が潜水器具を着用していたので、クジラの口の中にいる間も呼吸できたとを伝えています。 ラッキーでした。 誰もがそうそう体験することではありません。 この手の話は童話の世界だけかと思っていました。 イタリアの作家、カルロ・コッローディの「ピノッキオの冒険」で、巨大なサメに飲み込まれたピノッキオがおなかの中でジェッペットじいさんと再開する場面が、わたしには鮮烈な記憶として残っています。 ※話によってはクジラに変わっているものもありますが、原作はサメのようです。 ブラックジャックにも似たようなエピソードがあったような記憶があります。 まさしく「事実は小説より奇なり珍なり摩訶不思議なり」です。 また、何事も最後まであきらめなければ、何が起こるか分からないとも言えますね。 だから人生は興味深いのかもしれません。 とにもかくにも、マイケル・パッカード氏、無事で何よりでした。 命拾いしましたね。 そして、わたしは出中生の健康を願います。 第58号 ミラー神経細胞特に今日は途中何度か強い雨が降っていましたのでなおさらです。 そんな心配をよそに、今日も生徒はいつも通りに登校してきました。 何もなくて、何よりです。 当たり前ではなく、ありがたいことです。 そして、どの学級の授業も、それぞれに取り組んでいます。 黒板を使っての授業。 実物モデルを提示しながらの授業。 タブレットを使って自分たちで自分の動きを確認しながら進める授業。 その他いろいろ・・・。 若手もベテランも、それぞれの教師が本気で工夫を凝らして授業に取り組んでいます。 本気で取り組む教師に応えるように、生徒も本気で取り組みます。 これも、ミラー神経細胞の影響ですかねぇ。 ミラー神経細胞(Mirror neuron)とは、霊長類などの脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている時の両方で、活発に活動する神経細胞です。 他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように、「鏡(ミラー)」のような反応をすることから、このように名付けられたそうです。 つまり、ミラー神経細胞は、人の脳内にある「鏡」です。 我々が新しいことを身に付けるときのひとつのプロセスとして、次のようなステップがあります。 1、別の人の動きを自分の「脳の鏡」に映し出す 2、自分が実際にやっているかのように、脳中で体験する 3、定着する(身に付く) 「小さい頃から、本物を見せろ」と言われるのも、これに通じますね。 昨日の合唱の祭典も小学生から一般まで、様々な団体が合唱を披露しました。 小学生が中学生のみならず、高校生や一般の、自分たちよりレベルの高い合唱に触れることに、意味を感じます。 子供に、世界トップクラスの選手の試合などを見せるのもそうですね。 わたしも部活動の顧問をしている頃、全日本選手権・プロ(実業団)リーグの試合や、同じ年代の高レベルな試合が観られる全日本中学校選手権大会などを、部員に観せていましたな。 いよいよ、今週末は砺波地区中学校総合選手権大会や写生会など、運動部や文化部の活動があります。 他と試合をしたり、交流したりすることでも、ミラー細胞は活性化するでしょう。 果たして、読書をしても、世界中の人の考えや生き方を知ることで、ミラー細胞は活性化するのでしょうか? 脳内→脳内だから違うのでしょうか? また、調べてみます。 第57号 合唱の祭典「花は咲く」「いのちの歌」の2曲を披露し、その歌声で会場の観客を魅了しました。 今回は発表団体ごとに講評がありましたが、完成形に近いとのお褒めのお言葉をいただきました。 課題も指摘いただいたので、次に向けてより一層向上してくれるでしょう。 素敵な歌声を聴くことができて、私もうれしかったです。 ありがとう。 第56号 本気でものを見るふと、裏から見ます。 ガクが結構大きく、細かい毛がたくさん生えています。 なぜ?と、疑問がわきます。 花に近付いて見ます。 花粉が花弁に落ちています。 めしべの周りにおしべ、多くの花が集まっています。 同じ花なのに、印象が違い、今まで見えなかったことが見えます。 校長室に日本地図を置いています(※なぜか地図を見ると心が落ち着くのです)。 一般的な地図と東西南北が反対の「逆さ地図」です。 北方領土、北海道から九州、琉球諸島へと続く領土の中で、富山県がちょうど真ん中あたりに位置し、日本の中心に見えます。 長い領土が中国、韓国、北朝鮮などの上を覆っているように見えます。 見慣れた日本の地図なのに、印象が違い、今まで見えなかったことが見えます。 アメリカ合衆国第16代大統領 エイブラハム・リンカーンが言いました。 I don't like that man.(わたしはその人が嫌いだ) I must get to know him better.((だから)わたしは彼をもっとよく知らねばならない) 見ようとすれば見えてくるものがあります。 身の回りには見ているようで見ていないものが、結構多いです。 思い込みや決めつけではなく本気で根気よく物事や人を見ることは、子供以上におとなに求められていることのように感じます。 第55号 恥ずかしいまだ暑さに身体が慣れていないので、熱中症に注意です。 こんな中でも、出中生は本気で学習に取り組もうとしています。 3年生の数学科では、√(根号)を含む計算を学習しています。 教師からの説明の後、生徒が一斉に問題に取り組み始めました。 性格の屈折しているわたしは、挙手をして担当教師にこっそり質問します。 「なぜ、√の中の数字が違うもの同士は計算しないのですか?a、bのような文字式ではなく、数字じゃないですか」 担当教師は丁寧に説明してくれました。 生徒たちはわたしが来室する前にこの説明を受けていたそうです。 恥ずかしい・・・。 3年生の英語科の学習では、デジタル教科書を使って本文に出てきた英単語の確認をしていました。 仕上げとして、一人ずつ電子黒板に映し出された単語を声を出して読み上げます。 わたしも空いていた生徒の席に座ったので、どきどきです。 ○十年ぶりの緊張感!! 次第にわたしの席に順番が迫ってきます。 いよいよ次は自分!!というときに、流れではわたしの次となるであろう、前に座っていた○○さんが、先に読み上げました。 ○○さんは校長は答えないと配慮してくれたのでしょう。 思わず「あ!飛ばされた!!」と口走ってしまいましたがすぐに反省し、○○さんに「気を遣ってくれてありがとう」と声をかけて、教室を出ました。 ○○さん本当に軽率な発言でごめんなさい。 お礼を言ったとき笑顔を返してくれてほっとしました。 ああ、恥ずかしい・・・。 校長室へ戻る途中、正面玄関を通ると百合の花が生けてあります。 昨日、わたしは不在にしており、その間に地域の○○様が届けてくださったものです。 今朝、お礼のお電話をさせていただくことができました。 3年ほど前から作り始められたとのこと。 植物を育てることと、教育とは似ているところが多くあると感じます。 ○○様、ありがとうございました。 地域のみなさんにも応援していただいていることを痛感します。 地域のみなさんにも恥ずかしくない学校運営をしていきます。 第54号 ロック!!「自転車通学ですか?徒歩通学ですか?」 そして、自転車通学の場合は次の質問です。 「自転車の鍵はどこにありますか?」 自転車通学のほとんどの生徒が、「カバンの中です」と答えてくれました。 「今持っています」と見せてくれたのが写真の○○さん。 ※ごめんなさい、教室のカバンにあると答えてくれた◇◇さんの顔が見切れていました・・・。 今日わたしが聴いた自転車通学生の鍵かけ率は100%でした。 数年前に教頭として赴任していた頃、自転車の鍵かけが100%になるようにと、砺波警察署の方から指導を受けていた過去のある身としては、うれしい限りです。 今日は、ロック(鍵)の日です。 富山県警察本部生活安全企画課 犯罪抑止対策室が情報発信する、富山県警安全情報ネットの防犯メールもこの話題でした。 以下、引用です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6月9日は「ロックの日」! 2020.06.09 09:15 本日6月9日は「我が家のカギかけの徹底を図るロックの日」です。 県内では、5月末までに発生した盗難被害のうち ・住宅への侵入窃盗の約57% ・自転車盗の約75% ・車上ねらいの約84% が、「カギのかかっていないところから侵入された」「カギをかけずに盗まれた」という無施錠被害で高い水準を示しており、全国平均を上回っています。 普段から、家を出るとき、自転車を駐輪したとき、車から離れるときには、カギをしっかりとかけ、確認する習慣を身につけて、盗難被害を防止しましょう。 ◎合言葉は「カギかけんまいけ!」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 出中生のみなさん。 カギかけんまいけ! この記事を読まれているみなさんも。 今日は、この他に、 同じロックでも、ロックンロールのロックの日、ロックウールの日でもあります。 日本人は語呂合わせが好きですね。 第53号 「今日から・・・」3年4組の授業を砺波地区内の中学校の先生が参観されました。 今回は担任教諭が授業する、学級活動(特別活動)の時間で、「自分の『未来』をつくるための具体的な一歩は何か」が、今日のテーマでした。 新型コロナウイルス感染症感染防止対策のため、教室ではなく、第3多目的室での授業です。 いつもとは相当違う環境でしたが、生徒たちは、本気で元気よく学習を進めました。 さすが出中生であり、さすが3年生だと感じました。 今日の時間に登場したマンダラート。 マンダラチャートと呼ぶときもあります。 アメリカ大リーグで大活躍している大谷翔平選手が高校時代に使っていた手法です。 高校1年生のときに彼が立てた目標は、「8球団からドラフト1位で指名される」です。 それを実現するための行動目標として、「メンタル」や「スピード」「キレ」「体づくり」など、8つのテーマを設けていますが、そのうちの一つに、彼は「運」と書いています。 そして、その運を引き寄せる具体策として、「ゴミ拾い」「部屋そうじ」「あいさつ」「審判さんへの態度」「道具を大切に扱う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」と書いています。 マンダラート作成後、本気で根気よく書いた内容を実行にうつした彼は、落ちているゴミを拾わずに通り過ぎようとすると、ゴミから「お前、それでいいのか?」と呼ばれているように感じるまでになります。 「一つゴミを拾うたびに、運がたまる。ゴミを見つけることが楽しみに変わっていく。」 このような、自分自身に恥じない行動の積み重ねが、運を引き寄せるのですな。 そう言えば、彼は「『運』をつけるためにしていることとは?」と質問された際、「ゴミを拾っています。他人が捨てた運を拾っているんです」と、答えたのをテレビで観た記憶があります。 「ゴミを拾う」という小さな行為の積み重ねが、平常心を保ち、冷静にプレーするためのルーティーンになっています。 今日の授業で3年4組のみんなは、『未来』のためにこれからやるべきことを具体的に考えていました。 特別活動の時間で大切なことは、自分で決めることです。 自分の生き方も、最後は自分で決めることが大切だと思います。 今日の授業の中で、ペアで将来のことを語り合ったり、全体でアドバイスを出し合ったりする活動があり、それらの意見を参考に自分で「今日からできる具体的な一歩」を決めていました。 アドバイスをもらった○○さんの「今日からチャレンジしていきたいと思います。」という言葉が、今日の学習をまとめていると感じました。 明日からではなく、今日からという発言が素敵です。 やってみないことには始まりません。 まずは、今から実行ですな。 わたしも勉強になりました。 第52号 それぞれの姿「いやいや、こちらこそ楽しかったです。」と、返事しました。 何とも、さわやかな朝。 今日のある新聞の運勢は、「喜怒哀楽、いろいろある日。これが人生と。」でした。 さて、何が起こるのやらとわくわく、どきどきの月曜朝です。 すると朝の会の前に、陸上競技部とバドミントン部が受賞報告に来てくれました。 みんなよくがんばりました。 やや疲れた表情の中にも、充実感というか、達成感というか、満足感というか、よい表情をしています。 満足いかない内容だった選手もいるようですがすべては未来に活かせます。 また補助員として大会運営を支えた部員たちも立派でした。 外に目を向けると、正面玄関前ではいつもより早く登校して、花苗を植えてくれている環境委員会の生徒たち。 環境美化のためにがんばってくれています。 ありがとう。 大会で好成績を収めて、賞状をいただいたり、賞賛を受けたりするときもありますし、特に何かがいただけるわけではないけれど、何だか充実感や、達成感や、満足感を得られることも日常にはたくさんあります。 さて、それはどういうことなのでしょう。 何か、共通することがあるのではないでしょうか。 お昼休みの時間には、吹奏楽部の部長○○さんと、副部長○○さんが校長室にやってきました。 なんと、昨日の地区吹奏楽祭へわたしがお邪魔したことへのお礼でした。 「わざわざきていただきありがとうございました」 わたしこそ楽しませてもらったので、「ありがとうございます」なのでした。 「わざわざ、お礼を言いに来てもらうなんて」と、うれしいびっくりでした。 何だか、背中がくすぐったくなりました。 放課後、生徒たちが帰った後の学校内では、教師が研修に励んでいます。 全体での研修の後、各教科毎に分かれての研修です。 内容はあえてお伝えしませんが、本気の生徒と共によりよい学校教育を進めるためには、教職員も本気でなければなりません。 今日は何だか慌ただしく、あっという間の1日です。 まだ、やり残したことが山のように・・・。 さて、わたしも生徒や本校の教職員に負けないように、本気で根気よく元気に励みます。 まだ今日は終わっていませんが、今のところ「喜怒哀楽」のうち、喜・哀・楽はありましたな。 この後、怒があるのでしょうか。 あまり朝のようにわくわくしません。 気をつけます。 第51号 それぞれ本気の出中生本校の吹奏楽部も出演し、出演27団体中最後の登場でした。 大トリです。 「森の贈り物」「ディープパープル・メドレー」の演奏でした。 本気の演奏で、私もとても楽しい気持ちになりました。 たまたま近くで聴いておられた、音楽が専門の元校長先生から「元気な演奏でしたね」と言っていただき、嬉しくなりました。 今日は、音楽をライブで聴くことのありがたさをしみじみと感じました。 開催に向けて、新型コロナウイルス感染症の感染対策についてご苦労された関係者の皆さんに感謝します。 昨日・一昨日の陸上部や、今日の吹奏楽部。 観戦不可で行けませんでしたが、土曜日に市民体育大会のあったバドミントン部。 この土日も出中生は運動部も文化部も、それぞれに頑張って活動しています。 この他にも、大会や発表会ばかりでなく、目標の達成を目指して日々の活動にがんばって取り組んでいる出中生もいます。 本気で物事に取り組む人の姿を見せてもらうと、こちらもエネルギーが湧いてきます。 第50号 未来を生きる大変僭越ですが、来校されて少しお話しさせていただいた瞬間から、そのお人柄に魅了されてしまいました。 もっとお話をお伺いしたかったのですが、ちょっとわたしの方がしゃべりすぎました。 3年生へのお話は大変分かりやすく、生徒たちにとって多くのことを学んだ時間でした。 山野様、誠にありがとうございました。 また、この企画を整えていただいた富山経済同友会の吉川賢一様に感謝申し上げます。 ありがとうございました。 今回の講演のテーマは「未来を生きる」でした。 山野様にはこちらからのリクエストに丁寧に応えていただきました。 日頃からわたしが感じていることを具体的に表現していただき、わたしにとっても大変勉強になりました。 今は、未来のためにあり、今の自分の言動を未来の自分はどう思うのかを、わたしは意識します。 生徒への想いも同じで、「未来の自分はどう思うだろうね?」と、問い続けたいのです。 これは決して脅しのつもりではないので、もしそう受け取られるのであれば、それは本意ではありません。 野村総合研究所グループが「NRI未来年表 2021〜2100」という刊行物を公開しています。※2020年11月 これは、今後予定されている出来事を、「政治・社会」「経済・産業」「国際」の軸で整理し、さらに、NRIが書籍やセミナーなどで発表している様々な予測を「NRI予測」として掲載している年表です。 リンクはこちら 例えば、次のようなことが書かれています。 2025年 ・日本の総人口が1億2,254万人に減少 ・無人自動走行バス・タクシー等を活用した新たな移動サービスが事業化 ・高速道路での自家用車の完全自動運転実現 ・世界人口の半分が水資源が逼迫する地域に住むことに 2030年まで ・人工知能(AI)等による職業の代替が進む等により、従業者が735万人減少 ・世界の食用魚の53%が養殖に 2040年まで ・世界の人口が90億人に到達 ・有人の火星探査機が実現(アメリカNASA) 2050年まで ・人工知能(AI)が人間の能力を追い抜く ・自ら学習・行動し人と共生するロボットが実現 ・世界の子供人口(4歳以下)の約40%をアフリカ大陸が占める 2100年まで ・2053年に日本の人口が1億人を割り、2100年までに5,972万人になる ・世界の平均気温が産業革命前に比べ、摂氏約3度上昇する さて、未来はどうなるでしょう? NRI未来年表のようになるでしょうか? なんとなく暗い未来をイメージしてしまいがちな昨今の情勢ですが、山野様も引用されていた、「FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 」(著者:ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド、翻訳:上杉周作、 関 美和、出版社 : 日経BP、初版:2019/1/11) には、データでみるとよくなってきている事実がたくさん示されています。 未来をつくる出中生がなんとなくのムードで流されることなく、本校で多くのことを学びながら未来のための力を付けられるよう、本気・根気・元気で支援します。 第49号 地図意見交流の場面で思わず○○さんに話しかけてしまいました。 ○○さん「海の近くが多いですね」 わたし「それは何ででしょう?」 ○○さん「資源があるから・・・?」 わたし「どこに?」 ○○さん「海底にです」 わたし「なるほど。ところで日本の工業地帯では何をつくっているの?」 ○○さん「石油製品。ん?石油? あ!船で運ばれてくる!!」 この瞬間が、たまりません。○○さんの脳内にパパパッと電流が走った瞬間ですね。 「製品を輸出するときも・・・」とまでは、伝えませんでした。 学習を進める中で、自分で気付くことができるでしょう。 この学習で参考となるのは地図です。 工業地帯の位置が一目で分かります。 今日は6月3日、測量の日です。 測量は国民生活の安全性・快適性の向上に、重要な役割を果たしてきました。 しかし、測量についての国民の評価は必ずしも高くなく、測量の成果が不適切に扱われる問題も発生したようです。 そこで、建設省(現:国土交通省)が「日本で測量の意義及び重要性に対する国民の理解と関心を高めること」を目的として、1989年(平成元年)に6月3日を測量の日と制定しました。 なぜ、6月3日かというと、1949年(昭和24年)6月3日に「測量法」(法律第188号)が公布されたからだそうです。 日本の地図といえば、伊能忠敬氏が有名ですが、富山県人としては、石黒信由氏を知っておいてほしいと思います。 石黒氏は、江戸時代後期に射水郡高木村(現:射水市)に生まれます。 和算、西洋数学や天文暦学などの学問を極め、100年以上誰も解けなかった和算の難問の全解答を著書で紹介するなど、とてつもない才能の持ち主でした。 その探究心に限りはなく、和算を実学へと応用し、検地や新田開発、用水や河川の改修、正確な測量術の確立、精緻な地図作製方法、測量器具の開発改良、航海術など、実に多くの分野に偉業を残します。 石黒氏の作製した「加越能三州郡分略絵図(国指定重要文化財)」は、現代の地図と比較してもほとんど差がないほどきわめて高い精度です。 和算の素養を基礎としてヨーロッパの新しい科学を取り込んで作製されるなど、明治以降に発達した近代地図のさきがけとなりました。 伊能忠敬氏の業績と並び称されますが、石黒氏の地図は内陸部も細かく測量した地図となっており、伊能氏の日本全図に負けない精密なものです。 たまたま数日前に射水の方と話す機会があり、石黒氏が話題に出て、「伊能氏の地図は海岸線中心だが、石黒氏は内陸もちゃんと示しているから、石黒氏の方がすごいと思いますよ」と言われました。 その言葉に誇りを感じました。 二つの地図を並べると、射水の方の言われることが分かります。 石黒氏の地図は内陸まで正確に描かれており、伊能氏のものは、海岸線が中心です。 まあ、比較するものではない、どちらも偉業なのですがね。 さて、砺波の偉人、砺波で誇れる人物はどなたでしょう? 出中生のみなさん、あなたの考える偉人をわたしに教えてもらえないかな。 いつでも校長室の扉は開いていますよ。 第48号 情報
今朝、地域の方から電話をいただきました。
校区の小学生が登校途中で転んでしまい、その痛さからか、悲しみからか、その場から動けなかったそうです。 それを見た本校1年生の、○○さんと、○○さんが安全な場所まで誘導するなど、声をかけて助けてくれたとのこと。 助けられた小学生は、大変うれしかったと家の人に伝えたそうで、電話してくださった方も、本校1年生の行動がとてもうれしく感じられたようです。 それで、わざわざ本校へ電話をいただいたという次第です。 朝からとてもうれしいニュースでした。 知らせてくれた○○教頭も「よいニュースです!」と、最初に教えてくれたほどです。 ニュースというのはとかく、気分が下がる話題が多いと感じませんか? これは、人類が地球上に誕生してから今まで生き延びるために必要なことだったのかもしれません。 なぜなら、いち早く危険を察知し、回避しなければ命を守ることができないからです。 だから、今でも私たちはどちらかというと「気になる」話題に食いつきます。 そのことをマスコミは知っていますから、そのような話題を報道する機会が増えます。 これは決して「読者・視聴者獲得のため」「広告収入のため」という意味ではありません。 危険を周知し、国民を守るという側面があるのでしょう。 ただ、ネットの世界はそうとばかりは言えないように感じます。 SNSで「いいね」をたくさんもらうためや閲覧数を増やすために、人々の不安をあおる情報を流すとか、そのためには真実かどうかの検証は不十分でもかまわないとか、そもそもフェイクであってもよいとか・・・・。 そのことを分かってネットを利用しないと、余計な不安やストレスを感じることになります。 身を守るために情報を欲する人間が、悪意のある情報によって危険にさらされるという状況は悲しい限りです。 「インスタグラム」の責任者、アダム・モッセーリ氏が、いわゆる「いいね」疲れを解消するために、「いいね」の非表示機能を追加する、とNHKのインタビューで語っていました。 そもそもSNSの危険性を理解し、ある意味うまく利用してきたように感じるので、半分疑いながらこの発言を聴いてしまう自分がいます。 「今後数年でさらに機能を追加し、最も安全で心地よいプラットフォームになることを目指す」と彼は述べ、安全で快適なSNSを目指す考えを示したのですが、この後の動きを注視したいと思います。 このような状況ですから、中学生のSNSの利用について、多くの課題が指摘されています。 Twitterの利用に、年齢制限がかけられていることをどれくらいの大人が知っているでしょうか? 投稿の際のNGワードが設定されているようですが、そのワードに似たことばを使って代用していることを、どのようにすればよいでしょうか?(※例えば、「死」を「タヒ」とカタカナで表現し、アカウント凍結を回避する) はたして我々大人は、本気で子供たちを危険から守れているのでしょうか? 守るために教育ができることは、子供自身に想像する力、考える力、そして自分で判断する力などを付けてやることだと考えます。 今日も、学校では生徒たちが全身を使って学習に励んでいます。 校長室前に掲示してある「本気で考える」シリーズの前で考えてくれている出中生を見ると、うれしくなります。 少しでも、想像する力、考える力を刺激できていたらと願っています。 第47号 愛のかたち応援団が各部の代表を前に、本気でエールを送りました。 全校生徒を背負っての応援ではありませんが、それぞれの教室から出中全生徒がエールを送りました。 体育館からは、遠くで手拍子をする音が聞こえました。 それがまた、何とも言えずうれしくなります。 愛を目では見ることができませんが、愛のかたちは見えたり、聞こえたリするようです。 応援団が仲間を激励する姿、全校生徒が仲間を激励する手拍子、体育館での様子を教室で視聴する全校生徒へ中継する姿など、すべては愛のかたちです。 朝、生徒が登校する前の教室を回ります。 朝の教室は、この年になっても緊張感を覚えます。 今はもう担任ではないにもかかわらず、緊張するのが不思議です。 教室の黒板には、担任の愛のかたちが見られます(写真2段以下)。 担任のメッセージは、ひとつの愛のかたちです。 それが手書きであろうが、印刷物であろうが関係ないとわたしは思っています(※若かりし頃、デジタルで通知表を書くのは愛がないと言われたことがありますが、わたしは疑問に感じていました。)。 また、学級によっては、総務が書いているところもあります。 担任の指導があってのことですから、これも愛のかたちでしょう。 かつて、尊敬する大先生から教えていただいた話が、頭から離れません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ヒロセよ、教育とは何か分かるか。 欧米で言う、「education」は「引き出す」という意味からきている。 日本で言う、「教える」は愛惜しむの「ヲシ(愛惜)」に接尾辞の「へ」がついたもので、愛おしい心で相手を見て導くことだ。 つまり、日本で「教える(教育)」は、教える側の心の持ちようだ。 だから、欧米での指導力不足とは、子供の力を引き出せないことであり、日本での指導力不足とは、愛がないということだぞ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 教室の黒板の写真を掲載しましたが、これはあくまで今朝のものであることと、毎朝黒板でメッセージを発信するのは愛のひとつのかたちであり、本校の教師は様々な形で生徒に愛を送り続けていることを補足しておきます。 愛おしい心で生徒を導けているのか。 時折、自分自身が確認することばでもあります。 |
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