最新更新日:2024/06/07 | |
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砺波市立出町中学校
住所:〒939-1366 富山県砺波市表町18番29号 TEL:0763-33-2329 FAX:0763-33-2330 |
第214号 春が立つ雪の降る天気です 教室の中では生徒たちが熱く、外の寒さを感じさせない、「本気、根気、元気」の呼吸で学習に取り組んでいます 教室だけでなく、体育館では1年生がダンスの学習中で、振り付けについてグループ毎に相談しながら、本気で練習しています 生徒たちの学習に取り組む姿を観ていると、表現できない気持ちになり、多くのエネルギーをもらいます 暖かい気持ちになって体育館から教室棟へ続く渡り廊下を歩くと、その窓から、降り続く雪越しに学習中の出中生の姿が眼に入りました 雪で、あまりよく見えないなぁと感じつつ、この週末は大雪の天気予報が流れていたことを思い出しました 改めて、今日は立春です 立春 寒さが峠を越え、これからは春に向かうことを示す節気の名前です そして、第1候「はるかぜ こおりを とく」 春の兆しとなる暖かな風が吹き始め、冬の季節に凍り付いた湖や池の厚い氷や、山々にある氷雪を少しずつ溶かしていくようになる季節の始まりです 今日は吹いていませんが、ここで言う暖かな風とは東からの風です 第1候「はるかぜ こおりを とく」を漢字で書くと、「東風解凍」 「はるかぜ」は「東風」と書き、「ひがしかぜ」と読みません 春に吹く東風なので「はるかぜ」と読むことについては少し理解できます ただ、「東風」を「こち」と読むことは不思議です ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 東風(こち) 春から夏にかけて吹く東寄りの風 氷を解き、春を告げる風として、古来雅語として取り入れられた 雨を伴うことが多く、この風が吹くと寒さが緩むので一般には喜ばれ るが、海上生活者には時化(しけ)になる風として警戒された 東風は単独に使われるほか、次のようなさまざまな複合した名称とし ても使われる 朝東風(あさごち) 雲雀東風(ひばりこち)(瀬戸内地方で3、4月ごろ吹く) 雨東風(あめこち)(九州の小倉(こくら)地方でいう) いなだ東風(三重県志摩半島の白木(しらき)での呼称) 鰆ごち(さわらごち)(岡山県で春のサワラ漁のころに吹く) 青東風(夏、青空のもとで吹く) 星の入り東風(10月ごろ、おうし座のすばる星の沈む明け方に吹く) 東風は春の季語として「梅ごち」「桜ごち」「正(まさ)東風」「春風」な どがある。[根本順吉] ※出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本語は奥が深い これは日本人の感性の深さを表していると思います こんなことを思うのは歳をとった証拠ですね 出中生のみんなはどうでしょう そう言えば、色にもいろいろな呼び方があります これについては長くなるので、またの機会に・・・ 第213号 ごもっとも ごもっとも※受験校によっては、自宅から直接試験会場へ向かう場合もあります どの会場も、開始時刻が過ぎ、いよいよ検査が始まっています 平常心に近いだろうか 元気に取り組めているだろうか 集中できているだろうか 昨日の事前学習で3年生のみんなには直接伝えましたが、今まで取り組んできた成果を発揮すべく、もてる力のすべてを出し切ってほしいと願います 緊張するのは当たり前 緊張しない人はそれはそれで自信をもって 自分との闘いに臨んでほしいです 最後の最後まで、出し切る、やり切る そして後は、結果を待つのみです そして今日は節分 節分と言えば、豆まきです アニメ「鬼滅の刃」の影響で、節分の風習は少し今までとは違ってきているようです 店頭で販売される節分セットに刀が付いており、今の鬼役は首を切られるようで・・・ さて、出中生の家庭では、今晩豆まきが行われるのでしょうか? 我が家では、父が「鬼は〜、外!福は〜、内!」と言いつつ、豆をまきながら家の中をまわっていました そして、子供たちがその後ろを「ごもっとも、ごもっとも」と言いながら、父についてまわっていました このことを話すと、ほとんどの人が驚きます 中には大笑いされたこともあります 当たり前と思っていることが当たり前でない衝撃、そして大笑いされる衝撃 未だに、わたしの周りで、節分の豆まきのときに「ごもっとも、ごもっとも」と唱和する家庭を聞いたことがありません けっこうな年月をモヤモヤとしていたのですが、ネット恐るべし!! 検索したらヒットしました All Aboutの暮らしの歳時記のページに、暮らしの歳時記ガイド 三浦 康子さんの記事がありました ※https://allabout.co.jp/gm/gc/220642/ All About 暮らし 冠婚葬祭 暮らしの歳時記 冬の行事・楽しみ方(12〜2月) 「鬼は内?鬼は外?豆まき珍風習や、恵方巻以外もある各地の節分行事食」抜粋 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 豆まき役のほかに、すりこぎを持って「ごもっとも、 ごもっとも」と言う人がいます。 (すりこぎは「あたり棒」ともいい、当たって縁起 の良いものとされています) 京都の一部では、豆まきをする人の他に、すりこぎ・ しゃもじ・扇などを手にした人が「ごもっとも、ご もっとも」と合いの手をいれます(主に客商売や芸 事の家に残る風習で、一般家庭では稀なようです)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この他に、場所によっては「鬼は外を言わない」「鬼は内という」「炒り豆ではなく、落花生をまく」など、いろいろなことが紹介されています ただ、豆まきのねらいが「邪気が入りやすいとされる季節の変わり目の日、新たな1年の始まりの前に邪気を払うため行うためである」ことは、どの地域にも共通しており、少しほっとしました 「福は〜、うち!」「鬼は〜、そと!」 「ごもっとも、ごもっとも」 なぜ、我が家が京都の一部の風習を継承していたのかは不明ですが、全く変な意味でないことが分かり、安心しました 知るということは、安心にもつながります 入試には出題されませんが・・・ 第212号 極意「水墨画の応用・墨で静物を描く」が単元のテーマです 今日は、その最終日 3限の2年5組の授業が、今年度最後の時間でした 墨の特徴や自分の選んだ静物の特徴を捉えて、立体的に描いたり、○○先生の指導を直に受け、実演も実際に見て、水墨画のよさを理解し味わったりしています 今日の授業でも、その物らしく、立体的に描くポイントを意識し、筆を走らせていました そして、どの生徒も個性的で魅力的な作品を仕上げていました 感心して○○先生にお伺いすると、「水墨画は、練習すればそれほど難しいものではないのですよ」と、教えてくださいました あとから美術科担当者から、○○先生の直接指導のおかげだと聞きました まさしく、水墨画の極意を、的確に分かりやすく指導いただいたその結果が、生徒の作品に出ています 極意恐るべし・・・ 午後に、3年生は明日の私立高校一般入試に向けての事前学習がありました 受験の極意とまでは言えませんが、わたしにも生徒に激励の言葉を伝える機会がありました 第3学年担当の教職員も、各学級でアドバイスしています 今日まで多くの試験を受けた体験を活かしています そうなのです 忘れがちですが、どんなおとなにも中学3年生の頃があったのです その体験を、今の中学3年生に伝えることができるのです 時代が違いますから、すべてをそのまま実践することはできないでしょうが、それらの中に、今の3年生にとってのヒントがあるでしょう 3年生のみんなが、情報を取捨選択し、明日に向けて活用してくれたらと願います すべては未来の自分のために せっかくの機会だと思い、改めて学習における極意というものを考え始めましたが、「学問に王道なし」というフレーズが浮かんできて、わたしの脳のはたらきはストップしてしまいました ブレーキをかける言葉や記憶を思い起こし、チャレンジをやめさせて、人生における危険を回避するのは、脳が自身の命を守るための極意かもしれません・・・ という思考は、逃げの極意か 極意(ごく・い)〘名〙 1 物事の本質、核心。特に、学問や芸事の核心となる大切なところ。奥の手。奥義。秘訣。 2 心の奥底。真実の心。 [語誌] (1)中国古典に「意を尽くす、心を尽くす」意の「極意」があるが、日本での意味用法や使用時期から見て直接それに由来するものとは考えにくい。学問や芸能分野での立派分派が盛んに行なわれた中世という時代を背景に、類義語「奥意(おくい)」ともども、「奥義」等の既存の漢語を下敷にして造られるに至った和製漢語であると推定される。 (2)近世には2のように文字通りに解釈して使用した例も現われたが、次代にまでは受け継がれることなく終わっている。 出典 精選版日本国語大辞典 第211号 霧の朝いつもはまぶしすぎて直接肉眼では見られない太陽が、霧のおかげで丸く見えます ※見えるからと、長時間見るのは目にあまりよろしくないので注意 生徒たちが朝の読書をしている時間、まだ中庭は霧が少し立ちこめています しかし、1限が終わる頃には、霧は消えてなくなっていました なぜ、今日は霧が広がったのでしょうか? なぜ、霧は朝や夕方、夜に見られることが多いのでしょうか? なぜ、日中なら山の中とか、スキー場で見られることがあるのでしょうか? なぜ、夏には見ることができにくいのでしょうか? 中学2年生の理科に「雲のでき方」を学習する単元があります だから、この問いは、既にこの学習を終えている2年生、3年生には分かってほしい問題です 問題はさらに続きます 霧と雲は何が違うのでしょうか? 立山が平地から見られない時、「ああ、今日は立山が雲に覆われているなぁ」と言います このとき、立山にいる人にとっては、「ああ、霧がかかっていて視界が悪いなぁ」となります ※立山山頂付近が雲の上で、晴天のこともありますが・・・ 雲と霧は同じものでしょうか?違うものでしょうか? これは、授業で習ったかどうか定かではありませんが、出中生のみなさん、いかがでしょう? 聞きっぱなしで、ここでその解答は述べません モヤモヤと心や頭の中に霧がかかるかもしれませんね・・・ |
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