最新更新日:2024/06/13 | |
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砺波市立出町中学校
住所:〒939-1366 富山県砺波市表町18番29号 TEL:0763-33-2329 FAX:0763-33-2330 |
3.11 no.716あれから13年です 3月1日現在、警察庁によれば、死者は1万5900人、行方不明者は2520人 福島県によると、県外への避難者は2万279人、県内の他の自治体への避難者は5993人 国内観測史上最大となるマグニチュード9・0を観測し、巨大津波が沿岸部を襲いました そして東京電力福島第一原子力発電所事故がその被害を大きくしました 当時、避難した中学生を勤務校で受け入れた縁で、発生半年後に現地へ行き、関係者から直接当時の様子を聴かせていただきました 今年は1月に能登半島地震が発生し、1.17や今日の3.11は、今までとは違う想いがあります 本校でも朝から弔旗を掲げています 被災されたすべてのみなさんへお悔やみとお見舞いを申し上げるとともに、関係者へのご慰労と、1日も早い復興を、改めてお祈りします うまのはなむけ no.715土佐日記 一二・二二の「船路なれど、うまのはなむけす(訳:(馬には乗らない)船旅なのだけれど、うまのはなむけをする」が例文として紹介されています また、「「馬の鼻向け」の意で、古代、旅に出る人の安全を祈って、出発時にその人の乗馬の鼻を行き先の方に向けた習慣から。」との解説もありました その「うまのはなむけ」の略が「はなむけ(餞)」であり、「あらかじめ(予め)、はなむけ(餞)をする、会」を、「予餞会(よせんかい)」と言います 月曜日の予餞会に向けて(卒業式に向けても)、2年生、1年生が準備を進め、今日は大詰めとなっています 登校している3年生も、後輩へのメッセージを掲示してくれました 土佐日記によれば、紀貫之を送別する会では「身分関係なくみんなが酔っ払って、海の近くにもかかわらず、魚が腐ったように横たわってふざけ合っている」状態になったそうで、紀貫之自身はうれしいながらも、その様子を少し冷めた目でみていたように感じます 出町中学校の予餞会では、土佐日記のような羽目を外したものではなく、送られる3年生も送る1、2年生も、みんなが楽しむことのできる会になるとわたしは楽しみにしています 準備を進める生徒会執行部のみなさん、ありがとう 1、2年生のみなさんもありがとう 登校している3年生もありがとう そして、そんな出中生を全力で支援している教職員にも感謝です ※「土佐日記」紀貫之 原文 廿二日に、和泉国までと、たひらかに願ぐわんたつ 藤原のときざね、船路なれど、む(う)まのはなむけす 上中下、酔ひあきて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれあへり 人事を尽くして天命を待つ 2 no.714今朝も天気は交通機関等に影響を与えることはなさそうです 昨日同様、3年生は、検査に臨む人も、既に進路を決定して登校する人も、それぞれにそれぞれの立場で、今できることに本気で取り組んでほしいです わたしが今日学校でできることは、それぞれの場所で学力検査に向き合っている出中生を応援することと、出中から同級生を応援している出中生を応援することです がんばろう! 最後の最後までやり切ろう!! 自分を信じて出し切ろう!!! 人事を尽くして天命を待つ no.713本日は県立高等学校の一般入学者選抜、学力検査の日です 昨日、学年集会でしゃべらせていただく機会があり、わたしの想いを伝えました 本日、検査に臨む人も、既に進路を決定して登校する人も、それぞれにそれぞれの立場で、今できることに本気で取り組んでほしいです わたしが今日学校でできることは、それぞれの場所で学力検査に向き合っている出中生を応援することと、出中から同級生を応援している出中生を応援することです がんばろう! 最後の最後までやり切ろう!! 自分を信じて出し切ろう!!! 3年生へ no.712いよいよ、という感じです 明日から県立高等学校の一般入試が始まります そして来週は卒業証書授与式を予定しています 時の流れを感じます 厳しい寒さの冬の後に、春がやってくる あたりまえのようでありながら、ありがたいことだと感じます 別れと出会い 様々な思いが交錯する時季です 明日、入試を控える3年生 考えても分からない未来の結果にモヤモヤするのではなく、今できることに目を向けましょう よりよい結果をイメージし、今為すことに集中するのはありです そして当日は目の前のものに、より集中します 多くの人が3年生を応援しています 特に、家族はきっと自分たちが気付かないほど力強く応援してくださっているはずです ぜひ、その応援もパワーに変えて、最後の1秒まで自分のもっている力をすべて出し切ってください わたしは敢えてこの言葉を使います 「がんばれ!!」 既に進路決定をしている3年生は、そんな同級生を応援してほしいです 3年生みんなが、卒業に向けてそれぞれが今できることに取り組んでほしいと思います 「石動」「常陸」 no.711
数日前、茨城県の悩みが話題になっていました
それは、「常陸牛」「常陸乃国いせ海老」等、茨城県が「常陸○○」と名付けた地元食材のブランド化を進めるにあたって、想定しなかった課題が判明したというものです それは、「常陸」の読み方です どうも、「常陸」を読めない若者が多いのではないかという話になり、まさかそんなことはないだろうとネットで調査した結果、全国20〜30代の約半数程度が読めなかったのです 出町中学校ではどうか、聞き取り調査を実施しました 調査数は出中生5名、教職員5名の計10名です ※少なくてすみません 調査方法は、廊下で出会った人に突然質問する形式でした ちなみに、調査は2問で、最初は「石動」の読みを問い、その次に「常陸」の読みを問いました 「いするぎ」正答者10名(正答率100%) 「ひたち」正答者3名(出中生0名 教職員3名)(正答率30%) おそらく、茨城県で調査すると、この逆の結果になり、北海道や九州四国あたりで調査すると、「石動」も「常陸」も正答率は落ちると予想されます 富山県民だから「石動」は読めるのでしょう ※「常陸」を読めた教職員の一人は関東出身で、来県したころは「石動」を読めなかったそうです ※ちなみにわたしは石動中学校の卒業生です 言葉は時代や場所によって独特です 方言もそのひとつです それはそれで味があってよいと思うのですが、日本に住む者同士の円滑なコミュニケーションに、正しい日本語は重要でしょう 今日も本気で国語の学習に取り組む出中生の姿があります ※そのほかの学習も、「本気」「根気」「元気」です 昨日の読書の話と関連しますが、多くの言葉をインプットし、それを思い通りに操ることができるということは、表現のバリエーションが増えることとなります また、読み解く力も付くと思います そんな力に、わたしはとても憧れます さて、出中生は学びの先にある未来を、どのようにみているのでしょう ランキング no.710その掲示物は、 1 2021.4から2024.2までの約3年間で、3年生がよく借りた人気本の紹介(2段目左写真) 2 2023.4から2024.2までの約1年間によく本を借りた3年生ランキング(2段目右写真) の2点です 掲示物に名前があった□□さんが1位を狙っていたらしいという情報を、掲示物に注目していた○○さんに教えてもらいました 個人的に、応援したくなる話題です なんでもかんでも、ものごとにランキングをつけるとか、子供に競争させることはよくないと、かつて日本某所の小学校の運動会プログラムから、徒競走が消えたという話題を見た記憶があります みんなで手を繋いでゴールしたとかしないとか・・・ 今年はパリ・オリンピック・パラリンピックが開催予定であり、金メダルの獲得を目標に世界中のアスリートが日々鍛錬しています スポーツ界だけでなく、プロスポーツの世界では優勝を目指して、日々鍛錬しています どの世界にも勝負の世界があり、芸能のオーデションも同じ類だと思います また、別の視点から言えば、人それぞれに個性があって、自分の得意なことで誰かと勝負することは、その個性を活かすことです 義務教育の中で、様々な教科の学習に取り組むことは、自分の中の可能性を引き出したり、自分自身で気づいたりするためだとわたしは考えています だから、日常生活に役立たない数学や国語の古典は必要ないという考えを、今のわたしはもちません 大体、学習を損得で考えることはどうかとも思っています 読書が好きでその結果多くの書籍を読んだ それがこんな数になった 「それほどの数を読んだ自分は凄いな」と、それぞれが思えればよいのでは? 「自分もすごいと思ったけれど、それ以上に読んでいる人もいるのか」と、感じることも大切では? 決してこれは勝負云々ではありません 誰かと比較するというより、自分の成長や実績を確認するための数字です そして、世界は広いということも 3年生貸出冊数ランキング(2021.4〜2024.2)の第1位の記録は911冊 これは学校図書室の本だけでです 単純計算で年間300冊以上 本屋で書籍を購入したり、市の図書館等から借りたりしていればこれ以上の数となります 誠に凄い数字だとわたしは思います 「わたしも負けずにインプットしないとな」と思わされる掲示でした インプットしないことには、アウトプットするものがありません 3月1日 no.709市内の県立高校の卒業式に参列しました 卒業生の中に、前々任校で教頭として勤務した最後の年に、1年生だった生徒たちがいました その中の○○さんは、今年度のその高校の運動会で、声を出して元気に躍動している姿が見られてうれしかったことを思い出しました 中学1年生の1年間だけで、なおかつ200人ほどいた学年にもかかわらず、その当時の記憶にリンクした自分自身に驚きます 本日の式場で、たまたま来賓席と近かった保護者席におられたお母様とも少し挨拶と言葉を交わすことができてうれしかったです 3月に入り、中学校としては卒業の前に、来週に控える県立学校の一般入試に向けて、フルスロットルで突き進む時期ですが、3月1日は日本全国的に卒業シーズンへ突入の日です また、3月1日はいろいろな記念日となっていますが、その中に「デコポンの日」があります 1991年の3月1日に東京の青果市場で初めてデコポンが取引されたこの日を、デコポンのおいしさを広めるための日として制定したようです そして、「デコポン」と言えば「デコピン」(※ちょっと苦しいか・・・) 「デコピン」と言えば大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手 アメリカ時間では2月29日でしたが、日本時間で3月1日(※日本時間早朝)に「デコピン」と名付けた犬と同居している大谷選手が、自身の結婚に関する会見を実施しました この会見の中で、「発表しなくてもよかった中で、アナウンスしたのは?」という記者の質問に対する大谷選手の回答が、わたしは一番興味深かったです 「1番は皆さんがうるさいから(笑)。しなかったらしなかったでうるさいですし、今日まずここで発表して、野球に集中したいなっていうのが1番ですね。」 これを笑顔でさらっといえるところ それを言われて記者たちが笑っているところ これまでの付き合いや、大谷選手の日頃のふるまいがこのような状況を生み出しているのだろうなと感じます 感じたことをストレートに伝えて場の雰囲気を悪くしたり、人間関係を悪くするわたしにとって、大谷選手は野球選手やプロフェッショナルとしてだけでなく、人としても偉大だと感じるのです 出中生には、大谷翔平選手はどのような存在なのでしょうか? そんなことも考える、3月1日でもあります 午後12時と午前0時 no.708
今日は2月29日
今年はうるう年です オリンピックがあるから1年間366日と、いつもより1日多いうるう年なのではありません 暦を調整するためにあり、その理由を理解するには天文学の知識が必要です 中学校での学習内容で十分理解できるので、知らない人はぜひ調べてみてほしいです とにもかくにも、2024年は366日あり、久しぶりに2月29日がある年です ※うるう年が、4年に一度必ずあるものではない事実も興味深いです ここで問題です うるう年の2月29日に生まれた人は、毎年の誕生日はどうなるのでしょう? ほぼ4年に1度しか加齢しないのでしょうか? いやいや、そんなことあるわけない、と、感覚的に思うのですが、本当でしょうか?? 年齢に関しては、法律できっちりと決められています その法律は明治25年法律50号です ↓ ※国立公文書館デジタルアーカイブより抜粋 明治三十五年法律第五十号(年齢計算ニ関スル法律) 年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス 民法第百四十三条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス 明治六年第三十六号布告ハ之ヲ廃止ス 読みやすくするために現代風にするとこのようになります 年齢は出生の日より之を起算す 民法第143条の規定は年齢の計算に之を準用す 明治6年第36号布告は之を廃止す この法律だけでは細かい部分が明確ではないので、そのあたりは民法で定められています 民法 ※e-Gov法令検索より抜粋 (期間の起算) 第百四十条 日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は、算入しない。ただし、その期間が午前零時から始まるときは、この限りでない。 (暦による期間の計算) 第百四十三条 週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。 2 週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。ただし、月又は年によって期間を定めた場合において、最後の月に応当する日がないときは、その月の末日に満了する。 要は、年齢は暦に従って計算します(年齢計算ニ関スル法律第2項、民法143条準用(同条1項)) このとき出生の日の扱いが問題で、民法では「日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は、算入しない」ものとしており、「ただし、その期間が午前零時から始まるときは、この限りでない」としています(民法140条) また、年齢計算ニ関スル法律は、年齢は出生の日から起算するものとしています(年齢計算ニ関スル法律第1項) そして、その期間は起算日応当日の前日に満了する(年齢計算ニ関スル法律第2項、民法143条準用(同条2項参照))となっています ということで、年齢は生まれた日を0歳として、生まれた年の翌年以降、起算日にあたる日の前日が満了するたびに1歳ずつ加齢するということになります 少し文章を読み解く力が必要ですね(やはり国語の学習は大切なのです) だから、1歳を加齢する時刻は誕生日前日が満了する「午後12時」(24時0分0秒)となります 「前日の午後12時0分0秒」と「当日の午前0時0分0秒」は、時刻としては同じですが、日が違っていることに留意してください つまり、2月29日生まれの人は、毎年2月28日の午後12時に1歳、加齢することとなり、これが冒頭の問題の解答となります 法律はその文章が難解だと感じるのですが、様々なことについてのきまり事ですから、読んで理解することは大切だと思います そうすることで、だまされたり、悲しい思いをすることは減らせるのではないかと感じます といいつつ、難解だとの思いは変わらないのですが・・・ やはり、わたしは勉強不足です まだまだ修行が足りません 2月29日生まれの知人がいます 以前その人に尋ねると、いつもは前日の28日に誕生を祝うと言っていました 中には3月1日に誕生を祝う人がいるとも聞きました あなたの身近に2月29日生まれの方はおられませんか? 今年は29日にお祝いできます ※ ↓ 下写真は、国立公文書館デジタルアーカイブで見られる「明治25年法律50号」です 数字の意味 no.707今回は社会の学習です 昨日、厚生労働省が令和5年12月分の人口動態統計速報を公表しました リンク:厚生労働省 人口動態統計速報(令和5年12月分) ダウンロードページ:政府統計の総合窓口 この中の「人口動態総覧−対前年比較−」で、あくまでも速報値としてですが、2023年の日本の出生数が758,631人と過去最少となっています これは前年比5.1%減であり、8年連続で過去最少を更新し続けています また、婚姻件数は489,281人と、前年比で5.9%減であり、90年ぶりに50万組を切りました これらの数字から、今後少子化が一層進み、日本の人口減少も加速度的に進むことが予想されます 出中生のみなさん これは、あなたにも関係があるお話です 学校や教育のあり方以上の、国としての大きな課題でしょう 上の【グラフ1】は、日本の総人口の推移(総務省「市町村合併の推進状況について」より)を表しています 日本の人口は、明治時代から100年間で約3倍になっています それが、約30年後の2050年頃には1億人を下回る予想です 上の【グラフ2】は、年齢別全人口と将来推計(国土技術研究センター作成)を表しています これを見ると、よりこれらの課題の大きさが明確になります 日本では子供世代の人口が減り、高齢者年代の人口が増加しています 1997年からは、子供世代人口を高齢者年代人口が多くなっています 子供が減れば将来のおとなが減ります 高齢者人口の増加は、社会福祉に関する予算が多く必要となることにつながります この予算は税金です 上の【グラフ3】は、諸外国における年齢別2020年人口の割合(国土技術研究センター作成)を表しています 世界的に見ても日本の高齢化率は際立っています 何だか、不安をあおるようなデータを示しているだけのように感じるかもしれませんが、状況を知ることは大切です 昨日、2年生が学んだ金融教育もそうですが、正しく状況を把握し、それぞれの立場でできることは何かを本気で考える そして、どのように「本気」で取り組むかです 「実行する」だけでなく、「実行しない」という選択肢もあります 本気で考えた末の決定であれば、「実行しない」も、「本気」だとわたしは思います それが「逃げ」か「本気」かは、自分自身が誰よりも分かることではないでしょうか どちらの自分を信じられるかも、自分自身がよく分かっていると思います ちなみに、将来の高齢化率の予想ですが、2060年の日本の高齢化率は約40%と予想されています その頃わたしはどうなっているか分かりませんが、生きていれば後期高齢者の一員ですな 共に学ぶ no.706本日、2年生の家庭科の授業として、現職の銀行員の方を講師にお招きしたのです 「私たちの消費生活と環境」の単元の学習で、今回は「自立した消費者になるために、正しい金融知識を学ぶ」ことがそのねらいでした 株式会社北國銀行セミナー担当チーフの方による特別授業で、「なぜお金の知識が必要か?」から始まり、今回のねらいに迫る学習が展開されました 成人年齢が18歳に引き下げられ、消費者被害に巻き込まれるリスクが増えます 今の時期からこのような学習で消費者としての意識をもつことは大切でしょう ご家庭で既に留意しておられることと思いますが、学校としても出中生が被害者とならないために、できることを粛々と実践します 生徒だけでなく、おとな自身も十分に注意する必要があります 共に学び、お互いに気をつけましょう 梅梅 no.705校門をはさんで反対側の白梅はまだチラホラです その咲き方に差があります 梅は、1月中旬頃から咲き出すものや、3月中旬頃から咲き出すものなどさまざまです また、花の形が似ている桜と違うところは、咲き方も散り方もゆっくりなところでしょうか 桜のない本校に梅がある理由はそのあたりにあるのかもと想像します 梅は中国原産で、遣隋使や遣唐使が中国から持ち帰ったとされています 奈良時代「万葉集」の頃は白梅、平安時代では紅梅が重宝がられたようで、万葉集には梅について百首以上が詠まれていて、植物の中では「萩」に次いで第2位の登場回数です 日本人には昔から生活に近しい植物でした 校長室よりのno.690「梅(2024.2.1)」で紹介した菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」(拾遺和歌集)は有名ですが、今朝の本校の梅を見ると、与謝蕪村の作品が連想されます 二(ふた)もとの 梅に遅速を 愛す哉(かな) 与謝蕪村(よさぶそん) 二本の梅が今年の春の到来を告げています 日当たりや品種等の違いで、開花に早い遅いがあります そこに春の訪れを感じ、楽しんでいる蕪村の感性が素敵だと思います この句で、「梅の遅速を愛す」ではなく、「梅に遅速を愛す」となっていることに多少の違和感を覚えるのが、わたしの感性のなさ、国語力のなさです 要は、教養のなさというか、不勉強というか・・・ 俳人 中村草田男 氏 の「蕪村集」に、そのあたりの解説があります ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 我家の庭に二本の梅がある つぼみをつけるに始まって落花に果てるまで、双方で少しずつ速いと遅いとの差がある それを眺めているのが、自分にはまた楽しい 「梅に」とあって、「梅の」となっていないのは、「に」というやや停滞の語感によって、読者の注意を梅そのものに凝集せしめるためである 作者は、梅という「物」をまず愛している その上さらに、その物の上に展開される遅速という「事」をも愛しているのである 「遅速」が漢語であるように、「愛す」も漢語である 漢語のしかも動詞と、「かな」の切字とのかかる連結は従来存在しなかったもので、耳ざわりだったとみえて、弟子の大魯が批難気味にその理由を質問したのに対して、蕪村は十分の漢字の素養があって行えば和漢両語を調和せしめ得てさしつかえなき旨を教えている書簡がある 「二もとの」和語に、単に形式的にだけ即応さすためならば「愛づる哉」の方が適当であろう しかし、それでは中央に位する「遅速」の漢語が取り残されて、いたずらに窮屈の感を帯びるに至る 漢語からの感興に発しているこの句は、必ず「遅速」の漢語を利用し、しかも全体のリズムの滑らかさをも損なわざらんことを条件として課せられている その条件を果たすためには、かく中部の「遅速」の漢語を、下部の「愛す」の漢語で受けて締めすえる必要があったのである 中村草田男 著 「蕪村集」(出版社 大修館書店)より抜粋 ※太字はわたし ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ううむ、深い 国語の学びも興味深いものです やはり学びは楽しいと思うのです 「桃、栗3年、柿8年、柚は9年の花盛り、枇杷は9年でなりかねる、梅は酸い酸い13年」 柚、枇杷、梅はこれ以外にも他の果物等が登場する文章もありますからその諸元が怪しいのですがおもしろい表現です この文章は「何事においても、成果が上がるには時期が来なくてはならない」ことの例えです はてさて、わたしはあと何年で実りとなるのでしょうか・・・ これは、鶴? 蜘蛛の巣? no.704そのうちのひとつが春を感じさせられる状態になっていました 常緑多年草のオリヅルランです ある程度成長すると細長い花茎を高くのばし花穂をつけて、白い花がまばらに咲きます 花穂の先端にはクローン苗ができ、新しい株を作ります この株の様子が折り鶴に似ていることでオリヅルランと名付けられたとのこと 月表面の模様と同様に人の見え方はいろいろで、海外では蜘蛛の巣に似ていると、「Spider Plant」と呼ばれているようです クローン苗でよく増え、丈夫で栽培が容易なために、外来種ですが観葉植物としてよく見かけます その姿を見ていて、興味がわいたのでちょっこり調べてみました すると、NASAが1984年に行った実験で、空気中のホルムアルデヒドを葉に吸着する能力が高いことが証明され、室内の空気清浄効果が確認されていることを知りました 他にも毒劇法により医薬用外劇物に指定されているキシレンや、常温での揮発性があり引火しやすいために消防法で危険物に指定されたり、人体に対しての麻酔作用やその毒性の強さから、毒物及び劇物取締法で劇物に指定されたりしているトルエンの除去効果も示されていることも知りました ますます室内での鑑賞用にもってこいです あれ?とか、むむ?とか、少しでも気になることがあったら、いろいろな方法で調べてみてはどうでしょうか? ちょっとしたことからずるずると学びが連鎖し、その結果、大きなことを学ぶこともあります マナビは楽しいものです 知れば知るほど疑問が増えるという経験も、それはそれで楽しいと思うのです 爆走メロス と 走れよメロス no.703ひとつめは東京の学習塾、栄光ゼミナールのサイトで、2016年12月13日から2017年12月12日まで「柳田理科雄のマンガ1日1科学 〜がんばれ!モモンガ先生〜 」という漫画が連載されていたお話です 副題に「昔話の謎と不思議を科学で解決!」とあり、理科教師のサガでこのようなものに惹きつけられるわたしは、今でもたまに見返しています(※リンク先:http://1kagaku.eikoh-seminar.com/category/story16) その中の2017年4月27日の記事に、「走れメロス」が扱われています 太宰 治の「走れメロス」には様々な表現が使われており、声を出して読むとなぜかそのリズムが心地の良い作品です(※そもそも、この話の元ネタは太宰本人のことらしいですが、それについても解説されています) その作品を、科学の視点で読むという内容です 柳田理科雄氏は、物語の文章の中の「少しずつ沈んでいく太陽の、十倍も早く走った」という表現に着目します メロスが友人のために、いや、自分のためにものすごくがんばって走ったことを表現する独特の文章です ただし、理科教師のわたしとしても、とても気になる表現です 「少しずつ沈んでいく太陽」・・・ 太陽が東から西へ動いて見えるのは、地球が西から東へほぼ1日1回の自転をしているからです 「走れメロス」の舞台であるシラクスの町は、イタリアのシチリア島に実在する都市で、北緯約37度ですから、この緯度の地点での地球の自転速度で考えると、地表では時速約1300kmで西から東へ動いていることになります(※赤道上では時速約1700km) 物語にある、この速さの「十倍も速く走った」となると、メロスは時速1万3000km以上で走っているということです 音速は気温によって変化し、気温摂氏15度での音速は秒速340m(=時速1224km)ですから、時速1万3000kmはマッハ11です 一般的なライフルの弾速は、秒速600〜1000m程度で、マッハ2〜3ですから、メロスはライフルの弾丸が飛ぶよりもはるかに速く走っています うーむ、とても興味深い・・・ メロスが走っている周辺では、大気中を音速より速く移動する物体によって発生する衝撃波ソニックブームの影響で、大変なことが起こっていたことでしょう あ!! だから走っている間に衣服が破れ、メロスが処刑場に着いたときはほぼ全裸体だったのですね そして、もうひとつは「走れメロス」に関してのおもしろい研究のお話です それはひとつめの話の4年前に公表されているものであり、塩野直道記念第1回「算数・数学の自由研究」作品コンクール2013年度受賞作品で、中学校の部で最優秀賞・塩野直道賞を受賞した「メロスの全力を検証」です 当時、愛知教育大学附属岡崎中学校2年生だった 村田 一真 さんの研究です ※https://www.rimse.or.jp/research/past/pdf/1st/w... ←ここでダウンロードできます ひとことで言うと、物語の文章からメロスがどのように走ったのかを数値化して計算したものです その結果は、野や森をメロスが進んだ往路前半は時速2.7km 一般的に歩く速さよりも遅い・・・ 山賊と戦かった後、死力を振りしぼって走ったとされるラストスパートも時速5.3km 一般的に歩く速さよりも速いですが、どうなのでしょう・・・ 途中にトラブルがありますから、平均しているからと考えても、あれだけの表現でがんばって走ったように感じさせられたメロスの移動速度は、想像以上に遅く算出されてしまうのです 研究した村田さんの感想の一部を抜粋して紹介します 「いつも気にかけないところには色々な謎があっておもしろいと思いました。そして「走れメロス」というタイトルは「走れよメロス」の方があっているなと思いました。」 着眼点といい、この感想といい、最優秀賞受賞も頷けます 2013年で中学2年生ですから、今は24歳か25歳でしょうか? やはり中学生はおもしろい そして、科学はおもしろい 決して、太宰 治 氏を揶揄しているのではありません その文章表現を含め、好きな作家さんのお一人ですから ※ 村田 一真 さんの研究は印刷して図書室の校長コーナーに置いたので興味ある人は読んでみてください(こちらでダウンロードもできます) プレゼント no.702
本校のスタディメイトから学校へ書籍の寄贈がありました
以前(※令和5年6月)、3年生の英語科の授業でフィンランドとオンラインでつないだ学習をしたときにお世話になった、徳留宏紀氏(※正しい徳が表示されないため、この文字を使用しています)が著者の一人として出版されているものです 書名:「非認知能力を伸ばす実践アイデアブック」 著者:中山芳一、田中麻衣、徳留宏紀(※正しい徳が表示されないため、この文字を使用しています) 発行所:東京書籍 出中生にというより、本校教職員向けです 大変興味深い内容です なんと、本校向けにサインを入れていただいています 「在り方で生きる」 「kiitos !!」 「kiitos」はフィンランド語で「ありがとう」 「ありがとう」とは違う使い方もあるようで、例えば、英語のpleaseのように、何かを丁寧に頼むときに使ったりするようです 「Voitko auttaa minua,kiitos?」は、「Can you help me please?」と同意かな いただいた書籍は職員図書として、教職員がすぐに手に取れるところに置かせていただきます ありがとうございました 縁とは誠に不思議であり、ありがたいものです その縁をどうするのかが、その人の人生を左右します プレゼント present それは、名詞で「贈り物」だけでなく、「現在(いま)」という意味もあります また、形容詞で「存在している」「そこにある」「出席(出勤・参列)して」「居合わせて」という意味もあります 言葉はおもしろいです 雨水 no.701ある教室で見られる光景(上写真)もそのひとつです 春が近づくと言えば、本日は24節気の第2、「雨水」です 現在広まっている定気法(24節気を配置する方法)では「太陽黄経が330度のときの日」です 国立天文台発表では、太陽黄経330度に太陽が位置するのが中央標準時2月19日13時13分であり、天文学ではその瞬間です 寒さが徐々に和らぎ、降る雪が春の雨に変わる季節 山の雪が融け始める季節 強い南風である「春一番」が吹く時期であり、ちょうど先週の15日(木)に北陸地方での「春一番」が発表されました 某番組のニュース・インタビューで氷見市の方が「こんなもの、春一番ではない!!」と断言しておられたことが印象に残っています 確かに、あまり強い風ではないと感じていたのですが、北陸地方における「春一番」の条件を知って納得しました 4つの条件が目安となっているそうです(富山地方気象台HPより) ・「立春」から「春分の日」の間であること ・日本海で低気圧が発達すること ・新潟、富山、金沢、福井のいずれかの気象台で風速(10分平均値)10m/s以上の南成分(ESE〜WSW)の風が観測された場合で、かつ上の気象台を除く新潟、富山、金沢、福井のいずれかの気象台で風速(10分平均値)6m/s以上の南成分(ESE〜WSW)の風が観測された場合 ・最高気温が前日より高いかほぼ同じになること 「北陸地方に」というところがポイントですね 気象につきものの「平年との比較」をしたかったのですが、「春一番」は出現しない年もあるため、平年日を算出していないそうで、だから報道では昨年と比較していたのかと、これまた納得でした ちなみに、過去5年分の春一番の状況は次の通りです ※富山地方気象台HPより 西暦(元号)・月日・最大風速(m/s)・風向・最高気温(摂氏度) 2024(R6)・2月15日・10.2・南南東・20.5 2023(R5)・2月28日・8.3・西・18.7 2022(R4)・2月15日・8.3・西・10.1 2021(R3)・2月20日・7.0・南西・13.1 2020(R2)・2月16日・10.5・南 ・17.5 2019(H31)・2月4日・9.8・南南東・14.0 おそらく氷見の方は「春一番」の発表条件をご存じなかったのでしょう 「平年比較をなぜしないのか」と思ったわたしも、平年日を算出していないことを知りませんでした 気象庁の決め事や事情を知らずに勝手にいろいろ感じてお恥ずかしいことでした もうしわけないことです 人は過去の経験等で感情が左右されることが多いです 大切なことを判断する場合には、十分留意する必要があると改めて感じました いかがでしょう(宣伝) no.700本校の中で、わたしが好きな場所のひとつです 使いやすいように学校司書が工夫してくれている図書室で、お昼休み等には多くの出中生が利用しています その利用者の一人が、わたしです 学校司書に「こんな本はありますか?」と尋ねると、すぐに数冊の本が目の前に登場します また、わたしの蔵書を置くスペースをつくってくださいました※図書室の中で一番不人気エリアかも (T^T) 出中生にお薦めの本をマイ・チョイスで並べています ぜひぜひ、出中生のみなさんご利用ください 久々にそのコーナーで、今日現在気になった一冊を手に取ってみました それは、これ↓です 「仕事の答えはすべて「童話」が教えてくれる。」 千田琢哉 著、朝日新聞出版社(2013.2.28) 「ああ、確かにそうだったなぁ」と、思いつつ、中に書かれたいくつかの話を読みました そして、ふと「あとがき」が気になって開いてみると、「あとがき」はなく、次のように大きな文字で書いてありました 「もうダメだ」 と思ったら、 図書館の児童書コーナーに 籠ろう。 明日は土曜日 ちょっぴり籠ってみようかな そういう日もありますな 輝き続ける no.699昨日の夜は、帰宅する頃には雲が広がっていて星は観えず、少し残念 昼の空も、夜の空も、わたしはなぜか惹かれます 原っぱに寝転んで空を見上げていると、途中から地球に乗って空を見ているのか、地球を背負って空を見ているのか分からない不思議な感覚になります 一昨日の星空には、帰宅する頃には南の空にオリオン座がありました 理科の授業で学習しますが、オリオン座は冬の星座です 冬の真夜中(午前0時頃)に真南に観えるものが、早い時間で南の空に観えているわけで、季節の移ろいを感じます しばらく玄関先でカバンを持ったまま、突っ立って星々をボーっと眺めました We are all of us stars, and we deserve to twinkle. わたしたちはみんな星であり、 光り輝くに値する 世界的有名人のマリリン・モンローが発したとされる言葉を思い出します 当時はまだ男性優位だったアメリカ社会で、一世を風靡した彼女の言葉には力があります わたし自身が歳を重ねて、波乱に満ちた彼女の人生を知れば知るほど、この言葉がいろいろに感じられます 単純に、一人一人には輝くものがあるというだけではなく、それぞれの星の明るさに関係なく、他の星と共に大きな星座を描く夜空の星のように、人間もそれぞれの輝きを大切にすることで、周りと共に何かを為したり、誰かのために何かができていたりするのではとわたしは考えます 出中生も、みんな星のような存在だと思っています マリリン・モンローが言うように、光り輝くに値するのです 空に太陽が昇っている間や、空が雲で覆われているとき、地上から星は見えにくくなりますが、その先では、空の星々は命ある限り輝き続けています 教わる その2 no.698
とあるお話
ある禅の高僧が、弟子から悩みを相談されました 「お師匠様 教えを得るには、どうすればよいでしょう?」 高僧は「それならば・・・、」と、弟子にお茶を用意します そして、弟子の前に茶碗を置き、その茶碗にお茶を急須で注ぎ始めます すると、高僧は茶碗がいっぱいになっても注ぐのをやめません 茶碗から注がれたお茶があふれ、卓にお茶がこぼれ、床へもこぼれます 「もうおやめください!」 たまらず弟子は高僧に言います 「お茶があふれています。もう茶碗には入りません!」 静かに高僧は弟子に言いました 「よくぞ見てとった。お前も同じだ。わたしの教えを得ようとするなら、まず頭の茶碗を空にしなさい。」 「空の茶碗」「お茶でいっぱいの茶碗」それぞれ何を表しているのでしょう お茶でいっぱいの茶碗は、単に「知識で頭が飽和状態」ということではないと思います 人からのアドバイスを素直に聞き、それを実行に移すことができる人は、学問でもスポーツや芸能でも、大きく成長できます 初心者や初級のうちは、センスのある人やちょっと経験していた人がよくできるように感じますが、中級・上級と進むにつれて、素直にアドバイスを受けられる人はその成長は続きます 多少の壁があったとしても、乗り越えていきます これは教師生活の中で生徒たちに教えてもらったことです 空の茶碗は素直な心、いっぱいの茶碗はそうではない心でしょうか 今日は本校新規採用の教師が研修のための授業があり、わたしも参観しました 出中生も教職員も、それぞれの学びは続きます 当然、わたしの学びもです 素直で謙虚な心が、脱皮し続けられるかどうかのカギを握っています しつこいですが、「脱皮しない蛇は滅びる」のです by フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ ※参考図書「人生に知恵と勇気を与えてくれる33の寓話―白髪のヒーローたち」 Jane Yolen 著、深井 照一 訳、出版社 東京書籍 (初版2001/7/1) 教わる no.697
2月11日(日・祝)にアイザック小杉文化ホールで開催された、第23回富山県室内合唱コンサートにお邪魔しました
本校合唱部が出演するということで、ご招待いただいたことと、やはり本気の出中生を応援したいと思うからです 県内で活動する21団体約350名が参加したコンサートは、なかなかの盛況ぶりでした 一般の方も出演されており、合唱を愛する人たちの熱い心を感じられました 本校の合唱後にも、作曲家であり合唱指揮者である松下 耕 先生からワンポイントアドバイスをいただき、褒めていただきました このように、その道の専門家から直接指導を受けることは大人も子供も関係なくとても貴重な場となります 前日の2月10日(土)からは「合唱講習会2024in富山」が同じ会場で開催されており、これにも本校合唱部は参加していました これにも、学生・一般合わせて、2日間で延べ270名が受講されており、みなさんにとって幸せな時間だっただろうと想像します 時間は命 時間を大切にすることは命を大切にすることであり、誰かが自分のために時間を使ってくれたとしたら、それはその人の命をかけていただいているようにわたしは思っています 中学3年生の担任のときには、我が学級の一人一人を思いつつ、ヒーヒー言いながら入試の書類を作成したこと(※結構時間と労力を使うのです・・・)について、当時の中学生に「わしは命を削ってがんばっているから、みんなもがんばってほしい」と、今であれば不適切となるかもしれない発言で激励していたような記憶があります 自分のために命を懸けてもらうとき、代償の有無は関係なく、それはただただ感謝でしかないと、わたしは思っています そしてその感謝の想いは、周りの誰かに自分自身のやり方で伝えていければよいとも思っています ※富山県合唱連盟HP参照 |
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