最新更新日:2024/05/08
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校訓 天資養活 自他共栄  本校の特色を活かし、保護者や地域のみなさんと連携しながら、一人一人の生徒が「勇気をもって」一歩踏み出せる学校をめざします
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梅梅 no.705

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今朝、校庭の紅梅が多くの花を咲かせていました
校門をはさんで反対側の白梅はまだチラホラです
その咲き方に差があります
梅は、1月中旬頃から咲き出すものや、3月中旬頃から咲き出すものなどさまざまです
また、花の形が似ている桜と違うところは、咲き方も散り方もゆっくりなところでしょうか
桜のない本校に梅がある理由はそのあたりにあるのかもと想像します

梅は中国原産で、遣隋使や遣唐使が中国から持ち帰ったとされています
奈良時代「万葉集」の頃は白梅、平安時代では紅梅が重宝がられたようで、万葉集には梅について百首以上が詠まれていて、植物の中では「萩」に次いで第2位の登場回数です
日本人には昔から生活に近しい植物でした

校長室よりのno.690「梅(2024.2.1)」で紹介した菅原道真の「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」(拾遺和歌集)は有名ですが、今朝の本校の梅を見ると、与謝蕪村の作品が連想されます
   
二(ふた)もとの 梅に遅速を 愛す哉(かな)
与謝蕪村(よさぶそん)

二本の梅が今年の春の到来を告げています
日当たりや品種等の違いで、開花に早い遅いがあります
そこに春の訪れを感じ、楽しんでいる蕪村の感性が素敵だと思います

この句で、「梅の遅速を愛す」ではなく、「梅に遅速を愛す」となっていることに多少の違和感を覚えるのが、わたしの感性のなさ、国語力のなさです
要は、教養のなさというか、不勉強というか・・・

俳人 中村草田男 氏 の「蕪村集」に、そのあたりの解説があります
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我家の庭に二本の梅がある
つぼみをつけるに始まって落花に果てるまで、双方で少しずつ速いと遅いとの差がある
それを眺めているのが、自分にはまた楽しい

「梅に」とあって、「梅の」となっていないのは、「に」というやや停滞の語感によって、読者の注意を梅そのものに凝集せしめるためである
作者は、梅という「物」をまず愛している
その上さらに、その物の上に展開される遅速という「事」をも愛しているのである

「遅速」が漢語であるように、「愛す」も漢語である
漢語のしかも動詞と、「かな」の切字とのかかる連結は従来存在しなかったもので、耳ざわりだったとみえて、弟子の大魯が批難気味にその理由を質問したのに対して、蕪村は十分の漢字の素養があって行えば和漢両語を調和せしめ得てさしつかえなき旨を教えている書簡がある
「二もとの」和語に、単に形式的にだけ即応さすためならば「愛づる哉」の方が適当であろう
しかし、それでは中央に位する「遅速」の漢語が取り残されて、いたずらに窮屈の感を帯びるに至る
漢語からの感興に発しているこの句は、必ず「遅速」の漢語を利用し、しかも全体のリズムの滑らかさをも損なわざらんことを条件として課せられている
その条件を果たすためには、かく中部の「遅速」の漢語を、下部の「愛す」の漢語で受けて締めすえる必要があったのである

中村草田男 著 「蕪村集」(出版社 大修館書店)より抜粋
※太字はわたし
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ううむ、深い

国語の学びも興味深いものです
やはり学びは楽しいと思うのです

「桃、栗3年、柿8年、柚は9年の花盛り、枇杷は9年でなりかねる、梅は酸い酸い13年」
柚、枇杷、梅はこれ以外にも他の果物等が登場する文章もありますからその諸元が怪しいのですがおもしろい表現です
この文章は「何事においても、成果が上がるには時期が来なくてはならない」ことの例えです
はてさて、わたしはあと何年で実りとなるのでしょうか・・・
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